『古森の秘密』 ディーノ・プッツァーティ

古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)

古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)


森には、木の精霊、風の精霊、言葉を話す鳥たち・・・
森のものたちには、森のものたちの流儀があるのだろう。でも、それは人の世の必然や正義とずいぶん異なる。
物語は説明しない。そのため、この文章は、少し不安な気持ちにさせる。物語の不気味さを際立たせ、美しさをひきたたせる。
いつのまにか、なぜと尋ねたり解釈したり、を捨てて、その場面その場面をそのまま受け入れ、味わっている。
たぶん、この本の言葉にならない不思議が、そのまま森なのだ。私はこの本を読むことで、森に迎え入れられていたのだと思う。


真夜中の祭りで、豪快な風の精が人間の子ベンヴェヌートと声を合わせて歌う場面は、忘れがたい美しさだったが、
森で、精霊たちとともに過ごし、歌い、遊ぶことができる人間は、子どもだけなのだ。
大人になるとき、子どもは森で過ごしたことをすっかり忘れてしまうのだそうだ。


私には謎の人であったプローコロ大佐。
彼は大人(それも人生の折り返しを過ぎた)だけれど、森の精霊たちが見える、触れることもできるし、鳥や風と言葉を交わすこともできるのだ。
彼は、矛盾の多い人だ。彼自身が森そのものだったのかもしれない。
あるいは、彼は、頑なに子どものまま大人になってしまった人なのかもしれない。


子どものベンネヴェートは大人になる。プローコロ大佐は変わっていく。
人が人の流儀を身につけるにあたって、相容れない森の流儀は忘れなければならないのだろう。
でも、本当に忘れるのだろうか。
別のものに形を変えて、心の奥の深いところにあるような気がする。(そうだったらいいと思う)
森がときどき恋しいと思ったり、いつまでもそこにあってほしいと思ったりするとき、気がつかないまま、古い思い出に触っているのではないか。
そうして、気がつかないうちに森を豊にする手伝いをし、人もまた豊かさを重ねているのではないか。
去っていくことは、きっと悲しいことではないのだ、と思いたい。