『緩慢の発見』 シュテン・ナドルニー

緩慢の発見 (EXLIBRIS)

緩慢の発見 (EXLIBRIS)


三度の北極圏探検に挑み、最後の旅の途上で亡くなった探検家サー・ジョン・フランクリン(1786−1847)には、この物語の著者シュテン・ナドルニーは特別の思い入れがあった。
ジョン・フランクリンの生涯を描いているが、評伝ではなく、これは物語である。
訳者あとがきには、「著者は、フランクリンという人物を描くために、いわば「緩慢」を「発見」したのだ」と書かれている。


ジョン・フランクリンは、緩慢な人間だった。
ごく普通に人々が暮らす時間の流れは、彼には早すぎてついていけないのだ。
そのために、子どもの頃は、「のろま」と馬鹿にされ、同年代の子どもたちには相手にされなかった。
しかし、ゆったりとした彼独特の時間の流れのなかで、深くじっくりとかんがえる人であった。
成長とともに、彼の個性を受け入れ、流儀として認める数少ない支援者の支えもあって、幼い頃からの憧れであった海に乗り出し、その個性を花開かせることになる。
ことに初めての北極圏探検で、バラバラに砕け散る直前の二隻の船に、危ういところで活路を開く件では、私は夢中になってページを繰っていた。
見せ場であるけれど、スピード感に惹きつけられたわけではない。この場面の空気は、とても静か。ジョン・フランクリンの「緩慢」という名の空気。
音も時間もとまったかのような静けさの中で、ジョンの思考がゆっくりと形を成し、しずしずと動きだしていく――


思い出すのは『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄)で、
ゾウのような大きな動物とネズミのような小さな動物では、時間の流れ方が違うのだそうだ。
大きな動物の時間はゆっくり進む。小さな動物の時間は早く進む。
同じサイズの人間たちの中にでも、ゆっくりが得意な人も、早いことが得意なひともいるに違いない。
でも、同じ時計のもとに生活しなければならない社会では、それぞれの個性・流儀は考慮されることはない。
「・・・ロンドンでは、時間がどこか支配者めいていて、誰もが調子を合わせなければならない」
ジョン・フランクリンが海に居場所を見出すことができたのは、そして、自らの能力を思うさま発揮することができたのは、海には陸とは別の時間の流れがあるからだろう。
「どこか割れやすく、裂けやすいとはいえ、氷たちは沈着で、時間を超越しているように見えた。そういうものが醜いはずはない。ここではすべてが平和的だ」


しかし、成功した探検家として、名声と栄誉を得るのと引き換えに、彼の人生はどこか歪んできたのではないだろうか。
彼の妻ジェーンの言葉がひっかかる。
「・・・のろますぎるですって? いまはもう違うわ! 周りを見回してごらんなさい。あなたの速度は、まさに重要な人間が、あまり重要じゃない人間のあいだを動くときの速度じゃないの!・・・」
栄光と引き換えに、彼は持って生まれた緩慢を徐々に手放していたのかもしれない。
緩慢さゆえにたどり着いた場所だったのに、そこは、彼に、もはや緩慢でいることを許さなかった。
なんだか皮肉な気がして仕方がない。