『安閑園の食卓』 辛永清

安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)

安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)


「いつの間にか、台湾で過ごした歳月より、日本での生活のほうが長くなった」という著者は、最近、生まれ育った台湾のことを思い出すことが多くなったという。
日本と台湾では、風俗も文化もずいぶん違う。さらに、台湾においてすら、今や、著者が育ったころの文化は消えつつあるのだという。
だから「台湾での風俗、食生活の個人的経験を記録しておきたいと思った」のだそうだ。


安閑園とは、著者が子どもの頃暮らした父の屋敷である。台湾では名の知れた家だ。
沢山の使用人に囲まれて、父母を中心にして一族がともに生活していた。
大勢の使用人が働く広い台所、様々なテーマを持った庭園を連ねた広大な敷地、大きなかばんと近隣の情報をもって屋敷を訪ねてくる商人たち、様々な祝い事や、先祖への思慕、神仏にささげる祈り、そして、家族やその周りの人びとの消息話。
著者の思い出の話は、必ず、みんなで囲む食卓に繋がって居るようだ。
わたしには、どの光景もなじみがないのに、この家の食卓には、ほっとする。想像もつかない珍しい料理なのに、なんておいしそうに感じられることか。
おいしそう、と思うのは、その食卓を囲む家族の幸せそうな光景に結びついているからだ。その光景は、私の満ち足りた子ども時代の情景を思い出させるからだ。
見た事もない食事や慣習を読んでいたのではなくて、食卓に漂う空気を味わっていたのだと思う。
著者の幸福な記憶が、わたしの、すこしぼんやりした幸福な思い出にかぶさる。


「日常のどんな些細なこと、物、人の中にも、注意深く見詰めていさえすれば、その宝はだれにでもみつけることができるはずである」
と著者はいう。
ああ、そういうことなのだ。
わたしは、台湾の、少し昔のお屋敷に招かれたつもりでいた。著者の思い出の人々に会っているつもりでいた。
この国と、全く異なる文化、慣習、風俗に触れているつもりでいた。
だけど、ほんとうは、その向こうに、日本の、地方の町家の細々とした暮らしや、一緒に暮らしていた人々をみていた。彼らと一緒に囲んだ食卓の嬉しさが蘇ってくるのを楽しんでいた。
時は流れる。住む家も人も、料理のしかたも変わった。
でも、毎日誰かに会って、毎日ご飯作って食べて・・・ずっとずっと続いている。宝はいつもここにあった。これからもきっとある。