『すべての見えない光』 アンソニー・ドーア

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)


一九四四年、八月、ドイツに占領されていたフランス北西部の小さな港町サン・マロは、連合軍によって爆撃を受ける。
18歳のヴェルナーと14歳のマリー・ロールが、この町にいる。
ヴェルナーはドイツ人の兵士、マリー・ロールは盲目のフランス人の少女。
物語は、二人の過去を、彼らの幼少期までさかのぼって、1934年のドイツとフランスのその場所から、ゆっくり辿っていく。
なぜ、この二人なのか、サン・マロなのか。
啓示でもなくて、導きでもなくて、遠く離れたところに無造作におかれたような点と点が、遥か遠くからやってきたもので、(思いがけず)いつも結ばれていたということを、全く知らないで読んでいた。
そうだったのか、と気がついた時には、驚き、くらくらしました。


戦争のさなかでした。
二人の少年少女の物語ではあるけれど、彼らについて書かれることは、彼らの隣人たちについて書かれることでもありました。

普通に暮らす人々がどのように戦争に巻き込まれ、どのように変わっていくのか・変えられていくのか(生活も、考え方も行動も)、丁寧に描かれていく。
それぞれが、それぞれのやり方で、日々をやり過ごし、なんとか持ちこたえようとしているようだった。


繊細で美しい文章は、残酷な場面さえも、詩情を感じさせます。
たとえば、砲弾を浴びた家の中の、「料理の本が散弾銃で撃たれた鳥のように伏せた格好で落ちている」などという描写。
文章から浮かび上がる情景が静かに呼吸をしているよう。
読み続けることで、何かの命を守っているような気もちになってくる。
物語を読む、というよりも、ときどき、前後の何もかも忘れて、目の前の言葉や文章の響きだけを味わっていたくなる。


息苦しいまでに暗い世界だけれど、この世界には、点々とともる名指しがたいようなものがあり、そちらに目を奪われる。
博物館の庭を、柳の枝を揺らしながら吹いていく風。
少女を呼ぶ父の声。
屋根裏部屋に届く声に耳を傾ける兄妹。
鳥の姿を探す少年の目は遥かな高みをみつめる。ばけつの水は足元に流されていく。
テーブルの上に小さな木の家が一つ一つと並んでいく。木を削る音だけが聞こえる静かな夜。
洞窟の奥に寄せる波の音。
夜ごと、指で辿りながら読み進めるジュール・ベルヌの物語・・・
そして、命じられた仕事を無表情で遂行していく男が時折見せる柔らかい表情は、なんだったのだろう。
忘れられない名前たち、エレナ先生、ユッタ、フレデリック、マレック夫人、エティエンヌ、そして愛するパパ。
物語の中に一瞬だけ現れてすぐに消えてしまった名もなき人たちの忘れられない眼差し、後ろ姿。
・・・文章の狭間から、暗闇を押しわけて立ちあがってくるようです。


物語の重大な鍵を握るのは、「炎の海」と呼ばれる美しい宝石。内側に炎の赤を宿した青いダイヤモンド。
様々な伝説をもつ、この幻の宝石が、今にして思えば、物語のなかで生きている人々の姿と重ならないこともないのです。
ダイヤモンドの硬さが、この時代を生きぬくために、それぞれをそれぞれらしい形で覆う硬い鎧のようで、
内面奥深くにしまいこんで忘れ果てたつもりの熱い血がときどき透けて、燃えるように輝く。
いやいや、むしろこの世界なのかもしれない。
硬質な青い闇に覆われた世界のなかで、熱い血が脈打っているさまであるかもしれません。


遠い遠い過去から、時も距離も超えて、ずっと注いでいた光。
それは、過去にも未来にも、遠くまで光を投げかける。
その光に照らしだされる光景ひとつひとつが、一瞬一瞬が、思いがけない贈り物のよう。