『ブラインド・マッサ―ジ』 畢飛宇

ブラインド・マッサージ (エクス・リブリス)

ブラインド・マッサージ (エクス・リブリス)


舞台は南京にあるマッサージセンターで、この店を経営する二人の店長をはじめ、マッサージ師たちは全員が盲人である。
読み始めれば、すぐに、私は、盲人たちの中心に引きこまれる。見えないことが、普通のことになる。
いいえ、彼らはちゃんと見えている。ただ、「健常者」とは別の器官を使ってみているだけなのだ。
ちょっと遠めに見れば、ここでの日々は、ちょっと可笑し味を伴う一つの調和なのだ。
仕事仲間たちとの軋轢や、故郷の親兄弟との関係も含めて、苛立ち、悩み、恋、夢や挫折など、彼らの日常が描かれていく。
どこにでもありそうで、ときどきドキッとさせられる日常が。


しかし、それは彼らの小さな輪の中でのこと。
彼らの輪の外には、「健常者」の社会、というもっと大きな輪がある。
そして、この大きな輪を意識するならば、もう盲人は個人ではなく、一塊の「障碍者」でしかなくなってしまう。
多数派たちのもっているものを持っていない一塊。同情すべき一塊。頑張って自立することを称えられるべき一塊。
こういう扱いに籠るひそやかな侮蔑や優越感のようなものが、その傲慢さが、少数派の側には、はっきりと見えている。
熊谷晋一郎の『リハビリの夜に』(感想)を思い出した。著者が晒されてきたものと同じ不快さを。多数派の鈍さを。


マッサージセンターには少数の健常者も雇われている。フロント、助手、賄い。(このマッサージセンターでは健常者よりも盲人の方が多数派なのだ)
「健常者」である彼らの目は見える。しかし、本当に見えているのだろうか。

>彼女たちの目は、何の役にも立たない。目は開いていても、見えないのだ。思ってもみなかった。この世には、明らかに目の前にあっても見えないものがある。
そして、私は、彼ら盲人たちのなかから、いきなり「健常者」のなかに突っ返されるのだ。
おまえは、その開いた目で、本当に見えているのか? 何を見ているつもりなのだ? との問いをつきつけられながら。