『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』  エリーズ・ボールディング

子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)

子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)


孤独はさびしさを意味するものではない。
「外界の世界に反応することに多大なエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる想像力、あるいは創造性の成長を阻止し、委縮させることになるだろう」と著者はいう。
人間には、孤独な時間が不可欠である。
例えば、子どもたちは、孤独である時に初めて、自分の外にある世界と自分の心のうちにある世界とを、意識的に一つに統合することができるし、そのとき、予想もつかないような内的成長をとげるのだ、という。


だけど、このように要約したところで、著者のいう「孤独」を説明できたとは思えません。
著者の書く「孤独」は、深く広く、豊かで、多層的、美しくて、思いのほか明るいのです。
著者が書く、さまざまな人々のさまざまな「独り居」の時間を読んでいるうちに、わたし自身の子どものときの「ひとり」時間を思い出します。
すぐに鮮明に思い浮かぶのは、当時住んでいた家の裏庭にしゃがみこんで、もくもくと小さな石ころを並べていた、その石ころの並びのこと。
風邪を引いて寝込んだ日、口元まで引き上げた布団のひだを山並みのようだと思い、稜線のむこうからやってくる旅人の姿を想像したこと。
光景とともに、その瞬間の落ち着いた幸福感を思い出す。


「畏敬の念に打たれていようと、いたずらをしていようと、子どもたちには、ひとりでいる時間が必要です」
「子どもの心は世界で最も肥沃な土地であり、知らず知らず蒔かれた種は、思いもよらぬ花を咲かせる」
という言葉が心に静かに沁みてくる。


この本のあとがきで、訳者・松岡享子さんは、「子どもたちにとって、自由な時間と空間は、ますますせばめられているといっていいでしょう」と書いている。1988年の言葉である。
それから、三十年たった。
この本のなかの「孤独」の豊かさが眩しく感じられるのは、いつのまにか、自分がそこから遠いところに流れているからかもしれない。
孤独でいることの喜びや、孤独でいる時間の重要性を知っている人は、あたりまえのように、人の孤独を大切にするだろう。
私自身が私自身の孤独を充分大切にしながら、人の孤独に敬意をはらうことができたらいいと願う。


この本を読みながら、松岡享子『サンタクロースの部屋』を思い出しました。その序文に、こんなくだりがあります。

>心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中にサンタクロースを収容する空間を作り上げている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。
だが、サンタクロースが占めていた空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れる事が出来る。この空間、この収容能力、つまり目に見えないものを信じるという心の動きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに大事かは言うまでもない。 のちに、一番崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせる事によって作られるのだ。
「孤独」とは、別名を「サンタクロースの部屋」というかもしれない。