『船を見にいく』 アントニオ・コック/ルーカ・カインミ

船を見にいく

船を見にいく

  • 作者: アントニオ・コック,ルーカ・カインミ,なかのじゅんこ
  • 出版社/メーカー: きじとら出版
  • 発売日: 2016/07/11
  • メディア: 大型本
  • この商品を含むブログを見る


「ぼく」は港へ船を見にいく。
大きな船、小さな船、船のつくり、船の行く先、船が運ぶものが描かれる。港の様子、働く人たちのことや猫たちのことが描かれる。
でも、それだけではない。
今書き出したのは、「目に見えるもの」だ。
この絵本には、同時に「目に見えないもの」が描かれているのだ。「姿の見えない人」をはじめとして。
そうして、船はもはや冷たい鉄の箱ではありえない。
「ぼく」は言う。「船は生きている。船はまるで、大きな動物みたいだ。」
好きだけれど同時に「こわいと思うこともある」船なのだ。


この絵本が私は好きだ。
目に見えないものと見えるものとで描きあげた船の絵本だからだ。「ぼく」が感じたままの「船」の絵本だからだ。
でも、読み終えると、切なくなってしまう・・・


「ぼく」は言う。
「いつの日か、ぼくもがんじょうな鉄のうでにだかれて、この港からとおくの町へ旅だつんだ」
この言葉に、はっとする。
船が「ぼく」をはじめとする若者たちの未来に重なる。


パパは「ぼく」を港に連れていってくれる。
ママは二人が港へいくのを嫌がる。
二人は「ぼくにはなんにも話してくれないこと」がある。
この絵本に切なさを感じるのは、「ぼくにはなんにも話してくれないこと」があるパパとママの側に、私がいるからだ。
旅だつ人を見送るものとして。


ふるくなった船は解体されて、あたらしい船を作るために使われるのだという。
「どの船も、ほんとうは、おなじひとつの船なんだ」と「ぼく」は言う。
船の記憶はきっと次の船に受け継がれていくのだろう。
「姿のみえない人」もやっぱり受け継がれた船で旅をし続けるのだろう。
人の思いも乗せていくだろうか。


船が抱える記憶や気配をそのまま受け入れ、「ぼく」は「ぼく」そのものを(港へ残していく人たちの思いとともに)船に乗せて、いつか旅だつのだろう。
私たちもそうして港を出てきたのではなかったか。「姿の見えない人たち」といっしょに。
そして、いつか私も(やがては「ぼく」も)「姿の見えない人たち」のひとりになる。
旅だつひとのその日が佳き日でありますように、と願いながら、わたしは、今は「ぼく」と並んで、美しい船を見ている。