『レッド・フォックス 〜カナダの森のキツネ物語』 チャールズ・G・D・ロバーツ

レッド・フォックス (世界傑作童話シリーズ)

レッド・フォックス (世界傑作童話シリーズ)


きつねが走る。きつねが振り向く。きつねがすわる。小首をかしげて何か考えている。どのきつねも美しい。
その流れるような肢体、輝く毛並みに、思わず手を触れたくなる。


赤ぎつねレッド・フォックス。森の周辺に住む人間たちからも特別ずるがしこいきつねとして、おそれられたきつね。
森で生きぬこうとする彼は、次々に危機に出会い、並外れた知力・体力を駆使して切り抜けていく。
人間たち、人間たちに従う犬たち、罠。そして森のより力ある動物たち。きつねの裏をかこうとする小さな動物たち。厳しい自然。山火事。
敵とレッド・フォックスの知恵比べの面白いこと。どのように切り抜けていくか、たくさんの見せ場に心躍らせながら、夢中になって読んでいた。


森では、誰もかれも、必死で生きている。
自分にできる限りの力を尽くして、生き抜いていこうとしている。
森の声、本能の声にじっくりと耳を傾け、一瞬一瞬の経験を、次の日を生き延びるための糧として。
ただ「生きる」に向かってまっすぐ。その姿に心動かされる。


森のルールは厳しい。落伍したら死しかない。遊びのために他の命に手をかけたりする余裕はない。
人間がスポーツとしてする狩猟も描かれていたが、追い立てられる動物にとって、それは、どんなに残酷で無念なものであるか。
自らが生き延びるためにあえて敵(または獲物)を殺さなくても生きていけるようになったとき、そのゆとりが、他者の命をおもちゃにすることに繋がることもあるだろうか。
いえいえ、他者を殺さないで生きていける生き物などいない。
殺したという実感もなく、消費して暮らしている、という私の暮らしは、祖先が当たり前に持って居た感覚や、もしかしたら感情さえも狂わせているのかもしれない、なとと考えていた。


印象に残るのは、賢くたちまわる動物がついに人間に捕獲される場面。
それが、警戒していた恐ろしいライバルによってではなくて、むしろ・・・という皮肉な展開に、気持ちが乱れる。
捕獲する側・される側。双方ともに敵になりえないはずだった。
それが最も大きな脅威となってしまうことを、どのように考えたらいいのだろうか。


豊かな森。そして、さまざまな生き物がいる。
森の躍動感が伝わってくる。たくさんの音になって、匂いになって、伝わってくる。
生きろ、生きろ、と森は歌う。