『愛と障害』 アレクサンダル・ヘモン

愛と障害 (エクス・リブリス)

愛と障害 (エクス・リブリス)


作者アレクサンダル・ヘモンはボスニア-ヘルツェゴビナの首都サラエボに生まれた。
ユーゴ紛争のさなかに、作家を目指していた彼は文化交流プログラムの一員として渡米した。
ところが、セルビア人勢力によるサラエボ封鎖のために帰ることができなくなったのだそうだ。
彼は、アメリカに残り、アルバイトで食いつなぎながら学び、アメリカで作家になった。


この本は、作者自身の半生を彷彿とさせる「僕」を主人公にした連作短編集でした。
ものすごくエネルギッシュ、傍で見ているものが鼻白むほど。何をやっても滑りっぱなしで、滑稽で、正直、痛い男だと思う。
しかし、滑稽で痛い彼の行状の隙間には、いろいろ隠されていて、そのいろいろを、小出しながら、さっと見せられて、油断すると思わず胸を衝かれたりするのだ。


たとえば、故郷、ボスニア――そして、さらに、今やバラバラに各国に散らばった家族――への深い愛情と郷愁と。
たぶん、故郷や家族を意味するものが言語なのだろう。
故国の言葉は彼の中で息づき、彼のなかで光を放ち、たとえアメリカに住み、英語で本を書いても、彼が何ものであるか忘れさせない。
置いてきた故郷には二度と戻れないわけではないし、実際彼は、後年、サラエヴォに戻っている。でも、それは、当たり前だけれど、昔と同じではない。
サラエヴォへの避難は、かつての暮らしの中身のないデジャヴュのような気がしはじめていた。僕らは紛争前とまったく同じ場所にいたが、なにもかもがみごとに違っていた――僕ら自身が違っていたし、近所もまばらになったうえに違っていたし、廊下のにおいも違っていた・・・」


表題の『愛と障害』は、「僕」がティーンエイジャーの時に書いた詩のタイトルである。
「世界と僕との間には壁があり、
僕はそれを歩いて通り抜けなければならない」
彼は、書くことで通り抜けようとしたのかな。彼が作家を志し、実際作家になったことは意味がある。文学が、故郷や家族と作者とを結びつけている。そんな風に思った。
けれども、彼の父には、真実が伝えるものだけがすべてだった。文学は腹立たしいものだった。というのだから、父と息子は真逆の道を歩いているように見える。考えてみれば皮肉な喜劇を見ているようだ。
だけど、真実ってなんだろう。
『蜂 第一部』には、真実一辺倒の父が書いた自伝風な作品(?)が並ぶ。真実のみを書くことに徹すれば徹するほど、現実離れした文章になるのは一体どういうことだろう。
そして、文学の真実ってなんだろう、と思った。


『苦しみの高貴な真実』の、ピューリッツァー賞作家が、酔っ払ったどうしようもない若い作家「僕」に告げた言葉は「作家たちは何も知らない」ということだった。
「彼は何も知らない。知るべきことはなにもない。向こう側には何もない。歩くものも道もなく、ただ歩くという行為があるだけだ。そういうことなんだ。きみがだれであろうと、どこにいようと、それがなんであろうと、その事実に折り合いをつけなければならない。」
じわりと冷たい風が吹いてきたようで、なんだか脱力してしまうような言葉だ。
作家は何も知らない、というのは、どういうことだろう。文学とはなんだろう。文学を読みたがるわたしは、何なのだろう。


――そんなことを思いながら読んでいたのだけれど、思いがけないところから、文学のもう一つの顔を見せられて、びっくりした。
先ほどの引用通り、作家は「何も」知らない、というのはきっとほんとうだろう。でも、「何も」のある世界は、もしかしたらかなり狭いのかもしれない。
「何も」の外側には、はるかに広い世界があるけれど、普通にしていたらなかなか見ることができないのかもしれない。
作家はきっとそこを知っている。そこがあることを、そこにあるものを。それらをときどき持ってきて本の上に広げて、見せてくれる。
それこそ文学の贈り物。贈り物をもらったような気がする。