『水はみどろの宮』 石牟礼道子

水はみどろの宮 (福音館文庫 物語)

水はみどろの宮 (福音館文庫 物語)


 >――ああ、ひょっとして、この景色は創世記だかにゃ。・・・
そうだ。この本は、きっと一つの創世記だ。だから、詩のよう、音楽のようなんだ。
ほとんど忘れ果てていた心の原風景のようにも思う。


渡し守の千松爺の言葉「人間ちゅうもんはの、川というものに養われとる」という言葉。
山の胎の中に入って、身を挺して川をさらう白狐、ごんの守。
毒を入れられた海に、自らの立ち姿で作った森の影に魚たちを抱き入れて守ったマユミの木の精、一の君。
山の精の声を聴く少女、葉(よう)は、川の渡し守の孫。
白い蝶がひらひらと舞う。
親なし(?)の子猫に乳を与える千年猫、おノン。


山の神々は、水の生き姿であるのかもしれない。
そして、山の神の使いは、狐、犬、猫、山の木々。神と人とを仲介する兄や姉のようだ。
水に対する畏敬と、懐かしさのようなものが、じわりとこみあげてくる。
自分の体の中の水が、外の水と、さらに時を超えた遠い過去の水と、つながっていくよう。
胸の内で、何かが気持ちよくほどけていくような。


野性味あふれ、力強い文章。そして、体の底から揺り動かされるようなリズムを感じる。
と思えば、いきなり激しい怒りにさらされる。力を見せつけられる。
野生的なのに、しんとした美しさに満ちている。
わたしたちは、こうした神秘と交信する力を遠いいつか、持っていたのだろうか。
見えないものに対する畏れや、敬いは、まだここにあるだろうか。


これは熊本が舞台の物語。
この本が福音館文庫となって、今年の三月に再び刊行されたのが、不思議な縁のように思う。
かの地を、お使いの動物たちは、きっと見守って居る。
あるいは、見えない風となって駆け巡っている。