『二つ、三ついいわすれたこと』 ジョイス・キャロル・オーツ

二つ、三ついいわすれたこと (STAMP BOOKS)

二つ、三ついいわすれたこと (STAMP BOOKS)


ティンクが自殺したことは、十二年生、十七歳の少女たちをゆるがした。
ティンクは、カリスマ性を持ち、彼女の友人たち、通称「ティンク組」のそれぞれにとって、一番大切な友だった。
17歳たちは、友達の前での自分と、決して友達には見せられない自分との間の、大きな隙間を、振り子のように、揺れているようだ。孤独に。
彼女たちがティンクを特別の友、と思うのは、ティンクの振り子の揺れ幅があまりに大きいからではないか。
その揺れ幅に、彼女たちは自分を投影し、共鳴した。同じ痛みをわかりあえる友、として。


彼女たちは名門進学校の生徒。
彼女たちの親は、いずれも社会的な成功者たち。しかし、彼らの醜悪さ、愚かさったらどうだろう。
娘たちの自己肯定感の低さに驚いているのだけれど、傍からみたら成功者の親たちこそ、自らを肯定できなくなっているのかもしれない。
親たちは、娘たちに、自分の夢の一部になれとばかりに、同じ檻へ駆り立てる。(まるで子が自らの持ち物であるかのように)
子である彼女たちは、親の期待に沿えない自分自身を自ら罰しないではいられないくらい傷ついている。文字通り、血を流している。
・・・子どもはこんなにも親の影響にふりまわされているのかと、今更ながらにおもう。


亡くなったティンクは、匂いや、音、声、あるいはただ「そこにいるような気がする」気配となって、少女たちの自立を後押ししているようだ。
悪くない後味、むしろ清々しい後味を味わいつつ、そこに混ざりこんでいるやるせなさも味わっている。
命を絶ってしまうしかなかった少女が、生きた少女たちを助ける、ということは本当は辛い。


そして、愚かな親たちは、子どもたちが飛び立ってしまったことに気がついていない。自分たちが元の場所に取り残されてしまったことに、もしかしたらいつまでも気がつかないかもしれない。
子どもを圧倒的な力で支配しているように見えたけれど、実際、自立できず、子どもにべったり依存していたのは、むしろ親のほうだった。