『優しい鬼』 レアード・ハント

優しい鬼

優しい鬼


老女が話す。問わず語りに。
過去と現在と、それから現実と幻想が、入り混じった語りは、おとぎ話のようでもある。
霧の中に見える一筋の道を頼りに、読み進めながら、本当に大切なことを私はきっと知らされていない、大切なことはきっと霧の中に隠されている、と感じている。


もしも、物語がこのような構成ではなかったなら、状況や起こった事を、最初から、ただあるがままに描写したのだったら、どうだろう。
たとえば、「善き神は私たちを見下ろすとき色なんか見ない」「憎しみは憎しみを返す」という言葉が、最初からあらわれていたなら。
あるいは、起こったできごとだけを要約することも簡単にできるではないか。
でも、そうしたら、それは、今味わっているこの物語とは全く別の物語になってしまうような気がする。見た目だけはいっしょだけれど。
読書中に胸に湧きおこってきた思いや、読書後に訪れた余韻は、きっと別のものになってしまっただろう。


もしかしたら、色の問題でも暴力の問題でも、ないのかもしれない。
読み終えてそんな気がしてきた。
残酷な物語だ。でも、こんなに静かで美しい、と感じるのは、言葉や文章の美しさによるものだけではない。
あまりにも深い憎悪は、深まれば深まるほど(その社会にあたりまえにあった〜いまもある〜あまりに理不尽で愚かな価値観を越えて)どんどん澄んでいくような気がするのだけれど。


玄関先に置かれたのは、あの糸巻き。その向こうで、扉が開く。
糸巻きと糸の物語なのかもしれない。
まるであっちとこっちに伸ばした手が、伸ばし切れない手が(さらには手を伸ばしていることを見まいとして背けた顔)、見えない糸によって繋がって居るようにも思うのだ。
もしかしたら、糸に繋がれたまま、糸に導かれるままの旅だったのかもしれない。彼らの人生は。
生涯のあいだ、自分の手や足の、首の、見えない枷を感じながら生き続ける過酷な旅のあいだ、彼ら、空のかなたに何を見て何を聞いていたのだろう。


遺された人びとが口にする「楽園」という言葉の皮肉な響き・・・
過去に語られた、予言のような、いくつもの寓話・・・
いつまでも、心に残る。