『テムズ川は見ていた』 レオン・ガーフィールド

テムズ川は見ていた

テムズ川は見ていた


ヴィクトリア朝ロンドン。
十歳の子どもが煙突掃除の弟子となり、(大人は入れない)細い煙突にもぐり、一日中、煤の塊のなかに働いている。(レオン・ガーフィールド『見習い物語』感想参考)
煙突掃除の少年バーナクルは、煙突の中で、ある密談の盗み聞き中に、部屋の中に墜落。
追い詰められてとっさにテーブルの上の銀のスプーンと金のロケットをつかんで逃げ出した。


バーナクルを保護したのは、テムズ川のはしけ乗りゴズリング。
バーナクルを追うのは、クリーカー警部。
・・・どうやら、バーナクルは国家の秘密に関わる話を聞いてしまったらしい。彼が持って逃げたものは、その秘密の重大な鍵であるらしい。


国家への忠誠のためなら、市民の一人二人犠牲になったとしても、仕方がないのだ、という考え方に不信感を募らせつつ、物語を追いかける。


バーナクルは、盗み聞きもすれば、嘘もつく。どろぼうだってする。良いも悪いも知らない。未来も過去もない。その一瞬一瞬だけが確かで、その確かな時間を全力で生きぬこうとしているのだ。
だけど、彼は信頼も友情も感謝も憐れみも知っている。ただ、その表し方が下手だったり間違っていたりする。


テムズ川をのぼりくだり、その沿岸の人びとと心地良い関係を築きつつ、川に生きてきた素朴なはしけ乗りたちは、バーナクルを保護したことにより、何も知らないうちに、思いがけない冒険に巻きこまれてしまう。
はらはらしながら、彼らの活躍を見守る。
国を揺るがす陰謀とはなんだったのか、それが、はしけの人びととどうかかわるのか、それより何よりバーナクル本人の運命はどうなるのか、気になって。
バーナクルが思いがけなく、ゴズリングたちの元に転がり込んできたように、事件の展開も思いがけなく、彼らのもとに転がりこんでくるのだ。
キイワードは「12月のバラ」


階級がものを言う社会では、ほうっておくとどんどん階級が枝別れして複雑になっていくのかもしれない。
テムズ川に暮らすはしけ乗り同士のあいだでさえ、「身分」違いがあるという。
そんななかで、保護者も家も持たないバーナクルは、不安定で頼りない反面、奔放でのびやか。彼の自由が眩しくみえる。


トントンと音をたててたたみこまれていく終盤に、あっ、あっと声をあげながらも、私は、二人の大人のことが気になっている。
クリーカー警部と、はしけ乗りのゴズリングは、対立する立場ではあるが、実は似た者同士である。
どちらにも、守らなければならない「掟」があるのだ。違いは、一方の掟は国家の法であり、一方の掟は心の法である、ということ。
ともに正義感が強く一本気である。脇目もふらず、信じるまま一途に駆ける人たちの危うさが心に残る。