『ボヴァリー夫人』 ギュスターヴ・フローベール

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)


エンマの内側には、嵐が吹き荒れているようだ。
どんな類の嵐なのか、きっとエンマさえわからないのだろう。だからどうしたら鎮めることができるか、わからないのだ。
わからないままに、嵐の荒々しさが苦しくて、何とかしないではいられないと思うのだろう。
それが、不倫の恋であり、身に余りすぎる贅沢、という形であっただろう。でも、それは、形にすぎなかった。嵐はやむことはないし、むしろさらに激しく翻弄されてしまう。
おそらく、どんなにしても、この嵐は鎮めることのできないものだったのではないか。
生涯、ふりまわされ、苦しみ続けるしかなかったのかもしれない。
そのように生まれついたことが、彼女の不幸なのかもしれない。


そして、彼女のそうした内側を、誰一人想像もできなかったことが、もう一つの不幸だったかもしれない。(夫の鈍感さをはじめとして)
読者のわたしだって、エンマの嵐に圧倒され、どうしていいか、わからない。それでも、嵐に翻弄されるままの彼女の不幸が痛々しくてならない。
彼女はいつもたったひとりだった。ひとりぼっちで、孤立無援で、嵐にあらがいながら、やっと立っていたのだ。
・・・エンマは愚かだったと思う。だけど、それ以上に、エンマの生涯が痛ましくてならない。