『還れぬ家』 佐伯一麦

還れぬ家 (新潮文庫)

還れぬ家 (新潮文庫)


早瀬光二の父親がアルツハイマー型の認知症との診断を受けるところから始まった。
父母は光二の生家に二人暮らし。忘れていく焦燥感も手伝って性格までも変わってきた父を介護する母を手助けするため、光二は妻の柚子とともに頻繁に生家を訪れることになる。
高齢の母にかわって、あれよあれよというまに光二夫妻の肩にずっしりと介護の責任がかぶさってくる。
父の症状の進行は早い。そしてその症状は思いがけない現れ方をする。


翻弄される光二・柚子夫妻の姿はひとごとではない。
物を考えたり計画したりすることがすべて後手後手で、目先の対処が精いっぱい。ぎりぎりの綱渡りのような日々、それでも、できることを誠実にこなしていく夫妻なのだが、その姿にはらはらする。ストレスが体の不調となって表れるとき、ああ、やっぱりと思う。
そして、読みながら思ってしまう。
介護保険についても、利用までの煩雑さは、ぎりぎりのがけっぷちにいる家族にとっては辛い。
病院や施設のきまりごとが、家族の事情とかみあわないのも辛い。
また、これだけ精一杯に動く二人が、感謝されるどころか、ある場面では遠くで忙しく暮らす兄に文句を言われたりする。その大変さは当事者以外、だれにもわからない、わからせようもない、ということがとても虚しくて、どっと力が抜けてしまう。
(光二と柚子には何でも好き勝手なことを言う母が、離れて暮らす長男には遠慮した物言いになる様子も、歯がゆくて、いらいらした)
実際、光二だって以前はそうだったはずなのだ。遠くに住んでいる光二や兄に変わって、生家のことは姉がひとりでやってきた。だれも、光二も、その大変さをその時にはわかろうともしなかったのだ。
現在生家と音信普通になってしまった姉…本当は何があったのかわからないのだけれど、母の気性を思えば相当無理をしたのだろうなあ、兄弟には何もいわなかったのだなあ、と察する。


しかし、光二にも事情がある。
生家は「還れぬ家」であった。
子ども時代に親から受けた仕打ちのせいで、彼は心にひどい傷を負ったのだ。彼は、生家と和解することができないのだ。
虐待を受けたわけではないし、親には親の言い分があるだろう。そして、何よりも大切に育てたはずなのだ。だから、子は親をあからさまになじることさえできない。それだから、深くてきえない傷になるのだろう。
和解できないまま、わだかまりをかかえたまま、目の前にある現実に対処していかなければならなかったのだ。
光二が生家に上がったときに、家に籠った匂いに気がつく。母が窓を開けることを拒むので、ますます籠る匂い。それは、光二とこの家との間にあるわだかまりそのもののようだ。


わだかまりがすでに抱えこんだ持病となっている光二と、口先だけは威勢がいいがすでに体力の限界を迎えている母、そして生家と夫を取り持ちながらさまざまな交渉事を着々とこなしていく妻柚子とが、父親を支えている。しかし、そのバランスは脆く、崩れそうだ。
親子とは、兄弟とは、夫婦とは、そして、介護とは・・・立ち止まって考えなければならないけれど、できれば避けていたい問題が、次々、何か嫌らしいものになって吹きあげてくるような緊張感を感じていた。
そして、このどうしようもない、本当は眼をそむけていたいところに「家族」というものがあるのだ、と感じる。
ただ、作者の真っ正直な筆にかかった、ひとつの家族のありかたから、私の家族を、そして、親であり子である私自身を重ねていた。


そういう物語であるはずだった。父の死で終わるはずの。
2011年三月十一日がやってくる。ここ仙台の早瀬家に・・・
生々しい、と同時に、どこか遠いようなその日とそれに続く日々。
以前読んだ岩波ブックレット佐伯一麦さん『震災と言葉』を重ねる。言葉は何十年も待たなければ出てこないのだ、ということを。そして、忘れたくても忘れられない地元の人にとって「忘れるな」ではなく「忘れて前に進んでいくしかないのだ」ということを。
早瀬光二が、震災で避難している知人を見舞う場面、
「家へ還れない個人的な思いをずっと綴ってきた私にとって、外からの力によって家へ戻ることが有無を言わさず不可能になった者たちの姿を前にすると・・」のくだりが心に響く。