『片手の郵便配達人』 グードルン・パウゼヴァング

片手の郵便配達人

片手の郵便配達人


1944年8月から翌45年5月まで、第二次世界大戦末期。舞台はドイツ中央部のチューリンゲンの森付近だという。
ヨハンは郵便配達人。七つの村に郵便を配り、同時に郵便を預かる。
森も野も美しく、踊る陽射しが見えるようだ。村の人びとはみな郵便配達人とは顔見知り。昼ごはんは配達先のどこかの家によばれてごちそうになるのが習いだ。
牧歌的な美しい情景を、村の人びとの人間模様を、のんびりと味わえたらどんなに素敵だっただろう。


この愛おしい光景は、すでに戦争の闇に呑まれている。
一瞬でどん底に突き落とされるようなふうではなくて、怒りや苦しみや悲しみや、そしてどうしようもない諦めが、霧のように、じわじわと村々を覆っていくのを見まもっているようなやりきれなさ。
それは戦争が終われば平和になる、というような単純なものではなかった。


郵便配達人のヨハンは、わずか17歳の、少年といってもいいような若者である。すでに、兵役につき、すぐに左手を失い、除隊になっているのだ。
多くの少年たちと同じように、戦争にいき英雄的な働きをすることを夢見ていた少年だった。召集された時は勇んで応じたものだった。
目を覚ますためには、なんて大きな代償を支払ったことか。(でも、彼は生きている)
ヨハンが、歳のわりに老成しているように思えるのは、過酷な体験のためか。または、彼が運ばなければならない辛い手紙――出征した家族の死を告げる「黒い手紙」のためか。
手紙を配達する際、どうやって心を閉じればいいのだろう、と自問するヨハンは、ただ手紙を配達するだけの郵便配達人ではいられないのだ。
手紙を読む人の傍らにただ、寄り添わずにはいられないのだ。手渡した手紙が相手の心に起こしたものがあたかも自分の責任であるかのように。


見まわせば、疎開児童を率いた教師も、故郷に向かって旅を続ける助産師も、ヨハンと同年代だ。
戦争により、無理やり大人になるしかなかった若者たち。
ゆっくりおとなになることを誰からも手助けされないまま、一人前以上の働きを期待された。(だって、彼らの先達たちはみな死んでいたり行方不明であったりするのだから。彼らしかいないのだから)
彼らの考え方は、彼らの数倍(!)の歳の私などより、ずっと大人だ。
うっかり彼らの本当の年齢を忘れてしまうほど。それなのに、ときどき歳相応のピュアさや、脆さに出会い、はっとする。彼ら、ティーンエイジャーなのだ。


家族の死の知らせがいつ届くかとびくびくしながら待つ人びと、正気を失ってしまった人びと。
ヒトラーを信奉する少女団のリーダーは、スカーフをはずせば、恋をするどこにでもいるかわいらしい娘。
密告や裏切りに露ほどの迷いもなかったあの青年だって、もし平和な時代だったら、権力欲が鼻につきはするが一種の優等生だったかもしれない。
互いに寄り添い合い、口をつぐみ守り合う村人たちの共同体のささやかなぬくもり。
だんだん近づいてくる大砲の音・・・


巻末の著者の言葉『日本の皆さんへ』から。

ヒトラーの独裁政治は誘惑的でした。自分が何をすべきか、自ら判断する必要はなかったからです。従うことは簡単でした。最上の方法を探ったり、他人に対して寛容であるよう努めたり、自分の責任において物事を決断する必要はないのですから。私たちはその誘惑に負けたのです。
(中略)人は誰も心の奥底に闇を抱えているものですが、支配に身を任せるなかで、潜んでいた邪悪性が呼び覚まされていったのです。私たちは抵抗せず、ただ付き従っていきました。
著者の言葉、「人は誰も・・・」というくだりに、いつのまにか物語のラストシーンを、重ねていた。
どうしようもなく理不尽なあの場面。支配のもとで、ひねりあげ押さえつけてきたものがふいに解き放たれる恐ろしさに足がすくむ。
理不尽さは戦中であろうと平和なときであろうと、その罪の重さ、その悔しさは変わらないはずなのに、このラストシーンに衝撃を受けるのは、押さえつけられたものが開放されたときに、邪悪さや暴力が、喜びに先駆けて駆けだすのを見たからだ。
自分のなかに隠されていた闇のありかを示されたようにさえ思う。