『アーサー・ランサム自伝』 アーサー・ランサム

アーサー・ランサム自伝

アーサー・ランサム自伝


ずっと作家になりたいと願い、信頼できる人びとから才能を認められてもいたのに、なかなかその道を進むことができなかったのは、彼が多才であり、ことにジャーナリストとして優れていたからだろう。
しかも几帳面で、手を染めた仕事は隅々まできちんとやり遂げる人だったのだ。


それでも子どものころから、青年期にいたるまで(ことにコニストンでの休暇)、彼の日々にも、その周りの風景の中にも、あの12冊の光と影が躍る。あの子たちの声が聞こえる。
きっと『ツバメ号とアマゾン号』は、ランサムとともに生まれ、まだ形にならないままにランサムとともに育っていたのだ。


自伝というよりも、ロシア(とイギリス)を中心にした社会情勢についてこと細かく書く、書く(二つのロシア革命の舞台の裏表、またレーニンをはじめとした世界史上の名前たちが近しい人びととなって躍る)
二十代三十代、本来の道ではなかったとはいえ、ジャーナリストである自身をおおいに楽しみ、東西を闊歩していたのだろう、と察する。
そのぶん、彼の恋愛や家庭生活について、あまりにあっさりとした書きっぷりで、ぼんやりとした輪郭しか見えないのが不思議だ。
これだけの分量のページを読んだにもかかわらず、アーサー・ランサムの人となりは、ますます謎に包まれていくようだ。


ツバメ号とアマゾン号』が本になったのが1930年。ランサム45歳のときだった。
そして、それがほとんどこの本の終章になっている。
彼の人生は、『ツバメ号…』のスタートラインへ辿りつく道だったのだろう。
高給と地位とを保証されたジャーナリストの道を放り出して、さらに健康までも失いながら、それでも、『ツバメ号…』の執筆に専念するランサムはなんて気持ちよさそうなのだろう。楽しそうなのだろう。

>この本は、なんだかまるではじめて書いたもののような気がした。そして、ぎりぎりまで手直しをしたあげくしぶしぶ手ばなしたときには、はるか昔の一九〇四年の夏に感じたのとおなじ気持ちを味わった。
・・・それは、よい風になって12冊の本から吹いてくる。私は本を開くたびにその風の匂いに包まれ、いっぱいに張った帆をふくらませる。