『冒険の日々 〜マイ・ホームタウン』 熊谷達也

冒険の日々 (小学館文庫)

冒険の日々 (小学館文庫)


1967年から1970年。舞台は地方のちいさな町で、周囲には山や森があった。
子どもが、『山学校』と称して学校をさぼっても、大騒ぎになることもない平和な時代だった。
まだ電話も各戸に普及していなかった。大人たちは、子どもたちに構わずにおいた。
この町には学習塾は一軒もなかった。放課後の子どもたちの遊び場は川や野山、神社の森など。
河童や天狗もいたかもしれない。姿を見なくてもその気配は感じていられた。
なんだかわからない不思議に、ぞっとしながらも、「まあ、いいか」と受け入れたり受け流したりもできたのだろう。
そういう子どもの日々。子どもと・・・その地に宿る不思議の気配たちとの日々。


巌夫と稔と「私」の三人は、幼稚園のころからずっと一緒だった。
豊かな家の子もいて、カツカツの貧しい家の子もいたけれど、子どもの世界の力関係にはそれらは何も意味をなさなかった。
ピュアだ、というのではなくて、子どもなりの社会の利害関係を意識して、それぞれにそろばんをはじき、友達関係のバランスをとったりもしていた。
全然美しくも純粋でもないところがいい。と、思わせ、実は一方で、純情で、きまじめな面をちらっと見せてよこす。そういうこの子たちが、この子たちの日々が、私はとても好きになる。
少しだけ懐かしくて、少しだけ遠い。窮屈で、自由で、明るくて暗い、狭くて広い、世界があった。


小学校を卒業する年に、三人の少年と彼らの憧れの少女友子の四人はタイムカプセルを埋める。
それを掘り出すために、すっかり大人になった彼らが再会するところから「私」の思い出、として物語が始まるのだけれど・・・
この町を出たい、といっていた彼はこの町を離れることがあったのかな。どのように生きたのかな。
そして、他の少年たちも・・・町にのこったもの、離れたもの・・・
その後の話を聞いてみたいようなみたくないような・・・


昔はよかった、というつもりはない。
昔は昔だ。
今は今の子ども時代がある。どの子も、一度きりの子ども時代を精一杯に生きているに違いない。大人の目の届かないところで、彼らだけの大切な何かをはぐくんでいるに違いない。
しんどいことも不安なことも含めて、自分たちのタイムカプセルを作っている。彼らだけのかけがえのない日々を詰め込んで。開けることがあろうとなかろうと。