『考えられないこと』 河野多惠子

考えられないこと

考えられないこと


静かに時は流れていく。
短編小説も、エッセイも、詩も、日記もあるが、どれも形は違うものの、作者そのものの人生の記録なのだ、という気持ちで読んだ。
幼児期を経て女学校を卒業するまでの『好き嫌い』では、嵐を押し込めた静かさに出会う。
しんとした波のない海のような少女だと思ったが、胸の内に、嵐を持って居るのだ、ということに、どきどきして、それから、ほっとしている。
そういうほっとした感じが、気品となって、全編通して感じられた。


『考えられないこと』は、大阪の大空襲で家を失ったこと、身内の周りのこと、また、その後のことなどが語られる。
やはり、静かな文章である。最初から嵐はある。だって戦争だったのだから。そして、その時代を必死で生き延びた人びとのことが描かれているのだから。
でも、その嵐を(あえてということもなく)押し込めた静かな文章だ、と感じた。端正、という言葉がふと浮かぶ。
むき出しの感情も、そのときどきの感覚や思いなども書かれているのに、それらの感情がとても静かに推移していくように感じた。後年になっての冷静な振り返りでもあるのだろうけれど。
そして、冷静であればあるほどに、その核のところにある火のようなものを意識する。(『好き嫌い』の、押し込めた嵐に通じる)


兄の友達の河野さんのことは、やはり一番印象的だ。
こういう話を聞くと、確かにそういうこともあるにちがいない、と思ったり、信じがたいような気持になったりする。私だって誰かに語りたいけれど、そうそう語ることはできない、と思うだろう。
ずっと黙っていたこともわかるような気がする。でも・・・
でも、その理由がね、「話すのは河野さんに気の毒である」そして、今語ろうとすることが、「このまま黙ってしまう方が、一層申し訳ない」からだ、ということに、驚いている。「河野さんに気の毒」という言葉に込められているのは、魂への敬意かな、真面目に相手と向かいあおうとする誠実さだろうか。
言葉にならなくてもいい、そのような思いが、著者の心にずっとしまいこまれていたことが、兄も河野さんも、きっと幸せだったはずだ。そうして、今、こうして、端正な文章のなかで語られたことも。