『ハーレムの闘う本屋 〜ルイス・ミショーの生涯』 ヴォーンダ・ミショー・ネルソン

ハーレムの闘う本屋

ハーレムの闘う本屋


思いだしたのは、2012年の合衆国大統領選挙の前後に聞いた「オバマ大統領はアフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫ではない」という言葉でした。
彼はアメリカの多くの奴隷を祖先にもつアフリカ系の人たちの同胞ではないのだよ、といっているみたいに聞こえて、この言葉が何かの裏切りみたいに感じてしまったことを思いだした(そういう意味じゃないのだろうけれど)
そうして、この本。

>白人の支配するアメリカは人種の統合を望んでいないことは明らかだ。この先も絶対望まないだろう。いつかそのうち受け入れてもらえると考えるのは、自分をだましていることになる。
25歳。まだ書店を始める前のルイス・ミショーの言葉である。
やがて、たった五冊の本から始めた本屋は、黒人社会にものすごく大きな宝をもたらす『ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア』になる。
ハーレムで始まり、ハーレムで四十年続いた、この類まれな書店でありオアシスであるこの店は、黒人の若者たちを育て、各界の驚嘆の声を受け、多くの著名人が出入りし、ハーレムの名所となり、よって、FBIにマークされ、やがて州政府ビルを建てる計画のためにブロックごとまるごと接収されてしまう(ミショーの店をつぶすのがこの計画の本当の目的だったと考えられる)
白人中心の社会に掉さすものは、警戒され、少しでも抜きん出れば容赦なく潰されるのだ、と それは今も変わらないのかもしれない。
アメリカの話、だろうか。自国で、こっそりと(あるいは公然と)続く差別を思いつつ、苦い気持ちになる。


ルイス・ミショーという人物のことも、彼が設立した書店のことも、私は全く知らなかった。
心に残る彼のことば、見えなかったものをふいに見えるようにしてくれる彼の言葉は、いくつもいくつも、ある。

>「いわゆるニグロ」が大学へ行ったとしても、白人たちのことを学んだ印としての学位はもらえるが、それは自分たちについて学んだ証ではないのは明らかだ。大学で黒人が自分たちについて学べるのは奴隷制度のことだけだ。奴隷制度は一人の人間の過去ではない。それは人種全体にとっての不幸だ。黒人は自分たちの人種の尊厳について知る必要がある。そして、そういう知識を学ぼうと思えば、自分で学ぶほかない
>黒人はなぜ成功できないか、と、一年前に尋ねられていたら、白人たちの抑圧のせいだ、と答えていただろう。今、同じ質問を受けたなら、それにつけくわえて、黒人が自分たちのことを知らないからだ、と答えなければならない。


幼いころからの窃盗癖の故にむち打や服役を繰り返し、高等教育はほとんど受けていない。しかし、たぶん、それだからこその知見、なのだろう。そして、持って生まれたユーモアの精神とバイタリティ、読書への信頼が、そして、びくともしない黒人の意識改革への情熱(黒人としての自分を肯定するためには、まずは自分が何ものかを知る必要があるということ)が、ルイス・ミショーを作り上げる。そして、機知となめらかな弁舌と、が。交友関係の広さが。
まわりからは教授と呼ばれる男。図書館や博物館に行くよりまずミショーの店へ行けといわれる男。
あと、あと、なんだろう・・・この人=この書店の影響力の絶大さの秘密は、言葉で説明できない。


残念なのは、彼の後を継ぐ後継者を育てることができなかったことだろうか。
しかし、そんな暇があっただろうか。後継者を育てることに力を削ぐ余裕はなかった。彼は一日の大半を書店で過ごし、彼によって人生の意味がすっかり変わった人びとの数ははかり知れないのに・・・
それでも、この類まれな書店が、彼一代で終わってしまったことは残念ではないか。
いいや、ちょっと待って。こんなふうに彼は言っている・・・キングが暗殺された年の、72歳のルイスの言葉。

>われわれ黒人の中から声の大きなやつを排除してしまえば、あとの連中はすごすご引きさがると思っているやつらがいる。でも、そうはいかない。また、誰かが声をあげ、武器を研ぎ、闘いに加わるだろう。