『ぼくたちに翼があったころ 〜コルチャック先生と107人の子どもたち 』 タミ・シェム=トヴ

ぼくたちに翼があったころ (世界傑作童話シリーズ)

ぼくたちに翼があったころ (世界傑作童話シリーズ)


ベッドで声を押し殺して泣く子を、そっと抱く手がある。
ノート百ページの書きとりの宿題には、カーボン紙を使って手っ取り早くやり過ごすという珍アイディアが生まれる。
「夏の家」での夜の遠足、子どもの新聞、夢や憧れを語り合う友・・・
ふと、錯覚する。これは、楽しい寄宿学校の物語ではないかしら、『飛ぶ教室』みたいな?
しかし、ここは孤児院なのだ。
ヤヌシュ・コルチャック先生によって設立され、ワルシャワで三十年間運営された「孤児たちの家」。
ここは、子どもたちの自治が守られ、土曜日に開かれる子どもの法廷では、大人の指導者が裁かれることだってあるのだ。
信頼できる大人の見守りのうちに、自由にのびやかに育っていく子どもたちの姿を見ているのはなんて楽しいのだろう。
弁護士になりたい、写真家になりたい、新聞社の記者になりたい・・・子どもたちが仰ぎ見る未来の輝かしいこと。
陰になり日向になりながら、子どもたちの夢を後押しする大人の存在の頼もしいこと。


どれも実際にあったことばかりなのだそうだ。物語のエピソードも、事実をもとにしているものが多いようだ。
パレスチナに移住して今も健在なこの施設卒業生二人を作者は取材している。彼らが懐かしく語った思い出が、物語の背景にあるそうだ。
しかし、この施設が、当時(?)当たりまえであったわけではない。むしろ存在、存続が、奇跡であったはずだ。
主人公がここに来る前にいた別の孤児院の描写と比べながら、そう思っている。
そして、理想が先走るばかりで実態が伴わない施設や、きれいごとにすぎない施設は、きっとたくさんあるにちがいないけれど、
でも、コルチャック先生が実在の人でありどんな生涯を送ったか、ことに最後にどのような選択をしたかを知れば、ここがどんな場所であったか、容易にわかるのだ。
(この物語の後、ナチスによって、孤児の家の子どもたち200名はその指導者たちもろとも、絶滅収容所に送られ、命を絶たれることになる。その最後の瞬間に、コルチャック先生だけが釈放されようとしていたのだが、コルチャック先生は自らそれを拒み、子どもたちと運命をともにしたのだそうだ。 〜「あとがき」による)
子どもたちは、コルチャック先生や彼に賛同する同士たちによって、大切に見守られ、育まれ、自立に向けて全力で支援を受けていたのだ。


その施設に、ヤネクという架空の少年を、作者は、そっと入れてやる。
心も身体も傷ついた少年。盗癖があり、ひとを信じることができない少年だった。
彼が、さまざまな体験を経て、成長していく様子、友人を得て、『家』の大切な仲間になっていく様子、さらに、自分の得意なこと、やりたいことを知り、なりたい自分に向かって一歩ずつ歩み始めたことなど、目を見張る。
彼を捨てた(?)家族たちの姿は、おそらく最初から最後までそれほど変わったわけではなかっただろうと思う。でも、しばらくぶりに会ったとき、ヤネクには別人のように感じられた。変わったのは、ヤネク自身だったかもしれない。歪んでしか見えなかったものの形が、まっすぐに見えるようになったのかもしれない。


ヤネクのような子どもはたくさんいただろう。
コルチャック先生の『孤児の家』に入りたい、と願う子どもは当時たくさんいたのだそうだ。
実際セネクは、それ以前にいた孤児院『かけこみ所』を逃げ出してよかった、孤児の家に出会ってよかった。もし、あのまま『かけこみ所』に留まって成長したなら・・・と思うと、暗澹としてくる。
コルチャック先生の『孤児の家』に彼が入れたのは、たまたま一名分の欠員があったためと、彼の姉(唯一の保護者)が、以前働いていた(そして理不尽な理由でクビにされた)お屋敷の奥様に、弟のためによい施設を紹介してくれるように頼んだおかげだった。
どんな施設にも定員があるのは仕方ないとして・・・でもやっぱりなんだか少しもやもやしてしまう。
路上に放り出されるばかりの、保護してくれる人もいない子どもが、「よりよい施設」に入るために、強力なツテが、どうして必要なのだろう・・・
子ども自身には、そして、生きることにいっぱいいっぱいの貧しい人たちにも、そんな情報を集める術も閑もなかっただろう・・・
コルチャック先生自身、ひどい施設があることに憤っていたし、子どもの待遇改善のためにさまざまな働きかけそしていたわけだけれど。


物語は――
このまま、楽しい学園物語で終わればよかったのに。
子どもたちの成長物語で終わればよかったのに。
大きな大きな家族、きょうだいの物語で終わればよかったのに。
遠い将来、同窓会などもあったらよかったのに。
だが、そうならないことを読者は知っているのだ、最初から。
子どもたちはみんなユダヤ人である。
物語の最初のころから、遠くナチスヒトラーの噂が聞こえていた。
やがてポーランドも政権が変わり、差別が横行し始める。
ドクトル(コルチャック先生)の顔には苦悩の色が表れることが増えてくる。


物語はナチスポーランド侵攻の直前で終わる。
このあと・・・あとがきに書かれた通りのことが起こるのだ。
わたしは、あの子のこともこの子のことも知ってしまった。
その顔や息遣いさえも目に浮かぶ。
そして、慈しんできた大人たちの苦しみも知ってしまった。
書かれないページに、書かれたページのさまざまな場面が混ざり合い、たまらない気持ちになる。


読書好きな少女が、木陰で、子どもたちにコルチャック先生の本『いま一度子どもに帰れるとしたら』を読み聞かせる場面がある。
そのなかに、二人の少年が、人間にも鳥のように翼があったらどんなにいいだろうと話している場面がある。
この物語のタイトルは、ここからきたのだろうな、と思う。
日々をせいいっぱいに生き切る子どもたちの背中にはまるで翼がついているみたいじゃないか。
その翼を戦争と差別とが、むしりとった。


この美しい施設があったこと、素晴らしい日々が続いていたことが、奇跡のように尊い
それはコルチャック先生を柱にした大人たちの大きな力によって支えられてきたのだ。
惨く野蛮な時代に、きっと光がさすように、生まれ出るものがあるのだ。普通の人のあいだから。そういう、光のような人びとの存在を思う。