『新編 子どもの図書館』(石井桃子全集5) 石井桃子

石井桃子集〈5〉新編 子どもの図書館

石井桃子集〈5〉新編 子どもの図書館


この本が最初に書かれたのは1965年、「かつら文庫」が始まって七年たったところだった。一章は、その七年間のあゆみを簡単にあらわしている。
はじまりは、児童文学を書くにしても編集するにしても、子どもがどんな本を喜ぶか、どんなことが、どんなふうに書いてあれば、子どもがおもしろいか、わかっていなければ、いい本がつくれない、との考えがあっての実践だったそうです。
そして、実際には「かつら文庫」の前に、東北の小さなむらの小学生に絵本を読み聞かせる二年間(無著成恭の『やまびこ学級』を思いだしました)があったのちの「かつら文庫」なのでした。


第二章は、実際に、かつら文庫に通っている実在する子どもたちの読書の変遷の記録です。
この記録には本当に心躍る。
文庫に通ううちに、子どもの読書が変わってくる様子が(そして、子ども自身の成長の様子が)、子どもの読む本のタイトルの一覧のうちに、見えてくる。
・・・それにしても、昭和三十年代後半。子どもたちは、こんな本を、自らすすんで選びだし、読んでいたのか・・・その良書(大多数が五十年後の今も名作)を見る目の確かさに驚く。子どもの選書眼ってすごい。


第三章では、かつら文庫の実践や、石井桃子さんの旅(『児童文学の旅』感想とかぶる)を踏まえての、まだまだ日本では未踏の、そして、課題山積の気の遠くなるほどの道のりのかなたにある「子どもの図書館」について語る。
現在の公共図書館の(きっとどこの地域にも必ずあって、あるのがあたりまえの気持ちになってしまう)居心地のよい児童室は、こういうところから始まったのだ、そして、多くの心ある図書館員さんたちの手から手へと引き継がれながら、長い時間をかけて今の姿ができあがってきたのだ、ということを忘れてはいけないのだ、と思う。
図書館や文化は、堅固そうに見えるけれど、生き物なのだ、と最近気がついた。油断したら、いつのまにか死んでしまう生き物なのだ、と思い始めた。あたりまえではない。常に少しずつ育てる努力をしていかなければならないものなのだろう。それぞれが、それぞれの場所、それぞれの方法で。


「子どもの図書館」が岩波新書の一冊として、世に出たのは1965年。それから加筆されて『新編 子どもの図書館』としてのこの本が出たのが1999年。
約30年の間に、子どもたちは変わった。
「かつら文庫」のはじまったころ、子どもが会員になる条件は「ひとりで文庫に歩いてこられること」だったそうだ。
大人の付き添いなしで、「子どもの読む本は、子どもに選択してもらい、大人の指図なしに心を遊ばしてもらいたい」との思いがあったそうだ。
しかし、三十年もたてば、社会もかわり、子どもをとりまく環境もかわった。お話会の最中にも時間を気にする子どもがあらわれるし、三人くらいまとめてお話会にまにあうように車で文庫に送り届けられ終わるとまた車に積み込まれて去っていく子どももあらわれる。(耳が痛い話だ。)
さらに二十年・・・きっとさらに違った形に変わってきたのだろう、と思う。


はじめて『子どもの図書館』が世に出た時、これを読んで家庭文庫を始めたいと思った人、実際に始めた人が何人もいたそうである。(松岡享子さんの「解説」による)
・・・わかるような気がする。わたしは、第二章の子どもたちの読書の記録をみて、心躍った。こんな風景の一部に、わたしもなれたら幸せだろう、とほんとに思った。


でも・・・それは、五十年前の子どもたちなのだ。
学校から解放されたら、時間を気にする必要はなかった時代。遊びに遊び、読書に我を忘れるのも素敵な遊びの時間だった時代。
また、同時に思う。
かつら文庫に来ていた子どもたちはほとんどがサラリーマンの子どもたちだったそうだ。(地域性もあり)
一口にサラリーマンといってもいろいろな境遇の子どもがいる、とはいえ、どの子も、自らすすんで文庫にやってきて、好きなように本を読み、借りて帰り、家で本を読むことになんの支障もなかった子どもたち。
『新編 子どもの図書館』には、「かつら文庫」以前の東北の小さな町の小学校のクラスでの本読みの記録がのっているが・・・家で、楽しみのために本を読むことのできる子どもはほんのわずかだった。家に本というものがない、という家庭も決して珍しくなかった。学校のない日、ない時間は大切な家族の労働力だったから。
そして、わたしのいる現在のことを思う。
石井桃子さんの、どんなに時代が変わっても、子どもに読書は必要なのだ、という考え方。
そして、それにこたえるかのような、居心地のよい公立図書館の児童室。無償でいちにちじゅう本が読める部屋。だれもにWELLCOMEなお話会。
思い浮かべるだけで、心の奥から温かいものが広がってくる。
だけど、ほんとうに必要な子どもたちに、このシステムが届いているだろうか、とふと心配になる。
本のなかで遊ぶことの楽しさをまだ知らない子、それから図書館の利用の仕方を知らない子・・・
どうか届いてほしいなあ、と思う。