『きいろいばけつ』 もりやま みやこ

きいろいばけつ (あかね幼年どうわ (33))

きいろいばけつ (あかね幼年どうわ (33))


ああ、こういうことはある、よく似た経験をしたことがあるよねえ・・・
よく知って居る場所からはじまる物語に期待するのは、このよく知って居る経験が、何かの奇跡によって(知って居るのとは)全く別の結末に変わることだ。
どんな奇跡がおこるのだろう、どんな結末を迎えるのだろう、
と期待しながら本を読む。


最後のページで不思議な感じになる。
一瞬、きつねにつままれるような(・・・そうだ、この話の主人公はきつねだったっけ。)
それから、ゆっくりと・・・変わるのだ。なんといったらいいのだろう、この後味は。
モノクロだと思っていた景色が実はとても繊細な美しい色に満ちていたことに気がつくような、そんな感じ?


この物語は、わたしが期待していた「物語」ではない。それよりも、はるかによいものだ。
過去からさしてくる明るい光みたいなもので、大切な物をどこかに持っていることに、気がついたような感じだ。
(ときには、すぐにそれを出してみることができない時もあるけれど、いつかはきっと出して眺めてみることができると思う、それがそこにあるんだ、そういうものなんだ、とわかっているだけでも、なんてうれしいことだろう)


読み終えて、作者の『あとがき』(これがとてもよかった)を読んで、再び、ゆっくりと物語を味わいたくなる。
そうそう、最初に読んだときは、はらはらして、ゆっくり味わうゆとりはあまりなかったよね。
きつねの子の表情がとてもいいな。きいろいばけつによりそうきつねの子が本当にかわいくてかわいくてしかたがない。
きつねの子にとって、きいろいばけつは、だたのばけつではない。
きつねの子にとって、ばけつは、たぶん、弟のように愛おしい存在。
わたしは、二十年前に死んだ愛犬のことを思いだしている。
どうにもならない悲しみと、思いきり愛した喜びとを合わせて、ともに受け入れること・・・それは、とても大きな、深い・・・何かだ。
ただうれしいだけであるよりもずっと。
傍で見ている私は、この物語そっくりそのまま抱きしめて、すりすりと頬ずりしたくなる。