『ティンブクトゥ』 ポール・オースター

ティンブクトゥ (新潮文庫)

ティンブクトゥ (新潮文庫)


ミスター・ボーンズ(犬)の主人であり相棒であるウィリー(人)が死にかけている。「爆笑もののへっぽこ詩人、サンタのメッセージ伝道者を自ら以て任ずる男」または「いわゆる世界レベルの落ちこぼれ、何もわかっちゃいない人間の王様」が。
路傍に足を投げ出して眠る男の膝にあごをのせて、主人の最後の時を待つミスター・ボーンズの忠実さが愛おしくてたまらなくなる。
ウィリーといたせいで、苦労のしっぱなしだったのに。ちゃんとした寝床はおろか、食べ物さえ、最後にありついたのはいつだったか。そして、主人はひとりだけで死後の国「ティンブクトゥ」へさっさと旅だとうとしているのだ。誰一人知り合いのいない見知らぬ街にミスター・ボーンズ一人残して。
そんなことはきっと二の次になるほどの信頼関係が二人の間にあった、とミスター・ボーンズはいうのだろうな。
人の社会のどんどん複雑になっていくルールを重要視するとき、知らないあいだに、シンプルなひととひとの繋がりまで否定するときもあるのかもしれない。
ウィリーとミスター・ボーンズの信頼関係を見ているとそう思う。そして、ヒトの社会ではどうしたって落ちこぼれでしかないウィリーが、ときどき、このうえなく輝かしい存在に思えたりする。
ああ、そうだ、ウィリーの本質は、人間というよりもむしろ犬に近いのではないだろうか。彼は、サンタのメッセージ伝道者ではなくて、犬のメッセージ伝道者になったほうがよかったのかもしれない。
ミスター・ボーンズは、ウィリーのいくティンブクトゥに、犬の自分も一緒に行けるのだろうか、と心配していたけれど、きっと心配しなくていいのだ。


ウィリーを失って、ミスター・ボーンズはやがて、何人かの、新しい「主人」と出会う。彼らのミスター・ボーンズへの愛情は、ウィリーの愛情と違う。
彼らは確かに心からミスター・ボーンズを助けてくれたけれど、本当は、助けを必要としていたのは、人間の彼ら自身のほうだった。
誰もがみなひとりぼっちだった。
なんと寂しい世界なのだろう。寒々と冷たい世界に放り出されているのは犬ばかりではない。
温かい家も、仲のよい家族も持った人たちが、ばらばらに、自分の内部の寒さと闘っていた。
ひとの集まる町が、まるで深い森のような暗さと冷たさをはらんで、せまってくるようで、自分が孤独な存在であることを、その寂しさを、強く意識させられてしまう。