『パールストリートのクレイジー女たち』 トレヴェニアン

パールストリートのクレイジー女たち

パールストリートのクレイジー女たち


不運な人びとばかりが出てくる物語であるのにね、わたしはこの本を読んでいるあいだ、不謹慎にも、ずうっと幸せだった。


1936年3月半ば、6歳の僕ことジャン・リュック・ラポアントは、母と妹と一緒に、ノースパールストリート238番地の家(アパート)の前の階段にならんで腰を下ろして、ずうっと父を待っていた。
長い間音信不通だった父からの手紙を頼りに、ここで暮らすために3人でやってきたのだ。
思ったとおり、ペテン師の父は現れなかった・・・


ここはスラム。とうとうスラムで暮らすことになってしまった、と嘆く母は、しかし、緊急時や絶望的な事態を前にした時に発揮する快活なエネルギーをこのたびも発動させる。
周囲から浮くのをものともせず、無我夢中で、生活をたて、子どもらを育て、不屈の闘志で近所連中やお役所と丁々発止とやりあうのであった。
母のお気に入りの文句は「そのうちに私たちの船がくる」
いつか、運が向いてくる。このスラムから自分たちを掬い上げる船がくる。私たちはその舟に意気揚々と乗りこんで船出する・・・
タイトルの「クレイジー女」とは、この町に住むちょっと変わった住民たちの総称でもあるけれど、ことに、いろいろな面で強烈な母その人のことでもあった。


ジャン・リュックは、豊かな想像力で、ときどき比類なきヒーローとなって、空想ごっこの世界に遊ぶ。それは重たすぎる現実から自分を守る逃避の手段でもあった。
母親の深すぎる愛情と息子への大きな期待はあまりに重すぎた。
強い者たちが幅を利かせる少年たちの世界で、自分を放っておかせるためのあれこれ。
母の右腕として、親友として、波のように襲う母の気鬱や持病につきそい、家計の心配をし、妹の面倒をみた。
社会保障も、(表面的な)善意も、時には大迷惑、代わりに奪われるであろう家族の絆を守るために心砕かなければならなかった。
ヨーロッパでは、ナチスが台頭し、その勢力を徐々に広げていた。不安の影は、海を渡って、パールストリートにまでやってくる・・・
こんな日々を、本(図書館の本)と想像ごっことでやり過ごしながら、少年は「悪意ある運命に思い知らされるのではないかと心配で」明るい見通しを素直に喜ぶことが、できなくなっていたのだ。
けれども同時に、あらゆる角度から物事を見ることもまた身についていく。恵まれた頭脳と、思慮深さが少年の武器。いいや、別の面から見たら、そのせいで苦労しているともいえる。


あまりに絶望的な、暗くてみじめな日々・・・のはずなのに、文章はユーモアに満ちている。
ジャン・リュックは、我が身を客観視し、笑い飛ばす術を心得ている。
彼の案内で、彼ら一家だけではなく、近在の風変りな人びとと親しくなっていく。
どのひとも、どの家族も、このどうしようもないパールストリートに流れ着いた、暮らしている、というだけで、語りたくもない過去と現在とを(そして全然明るい見通しのない未来まで)抱えている、ということなのだ。
でも、そうした人々を描写する筆は、やっぱりユーモアがあり、あたたかな余裕を感じるのだ。
といっても、決して開けっ放しの「温かいお話」にはならない。人びとの嫉みや偏見は根強く、救いようがないことを苦くさらりと認識させられる。
そのなかで、決して方向転換することなくもくもくと「企業心溢れる社会主義」を通し続ける、たとえばケーンさんのような人の静かさ、強さは印象的だ。
ああ、そうだ、決して世に出ることはないだろう人びとの、静かでぶれない誠実さにも、触れたものだった。(ああ、ベン・・・)
わたしは、このとんでもない世界で右往左往する主人公の日常がとても好きだった。


また、彼の子ども時代は、ずっと第二次世界大戦のなかにあった。(戦争の終焉とともに、大人へと足を踏み出すのだが。)


戦争はどんどん暗い色を濃くしていく。
ラジオの子供番組でさえ、戦争を意識したもの、戦意高揚をうたったものに変わっていく。
なかでも、あまりに苦く心に残る戦争の爪痕がある。
朗らかに(!)志願した人が、帰ってきたとき、奪われていた目に見えないもの。
見かけは何も変わらない、一番近い人さえも気がつかないかもしれない。それがなくても生きていけるだろう。
でも、ちがう。かけがえのない素晴らしい宝を永遠に失ったのだ。それなのに、生活は続いていく。そのことにぞっとする。


広島と長崎の原爆についても語られていた。
ナガサキは知っている、と少年は思う。「プッチーニ蝶々夫人が住んでいたのが、美しいナガサキだったのだ」


さて、彼ら一家に船はきたのだろうか。最終章の章題は、「僕たちの船が来る」になっている。
どんな船を夢見たのだろう、どんな船に乗りたかったのだろう。思いはあまりに遠い、遠い。
静かに船に乗っていく人たちを見送る思いで、長い長い物語をふりかえり、胸がいっぱいになる。