『宮沢賢治「旭川。」より』 あべ弘士

宮沢賢治「旭川。」より

宮沢賢治「旭川。」より


宮沢賢治は、妹トシを失った翌年、哀しみを抱いたまま、樺太へ向かう。途中、旭川に立ち寄った。
旭川での短い時間の印象から『旭川。』という詩をつくった。(この本の裏の見開きに収録されています)
その詩をもとにして、この本は生まれた。
宮沢賢治の詩を絵本にしたものではない。
宮沢賢治の詩から立ちあがるイメージから、あべ弘士のオリジナルの詩が生まれたのだ。(文も詩、絵も詩だった)


朝もやのなか、異国の町を訪れた異邦人のような気持ちであたりを眺める。
車屋に行く先を告げるが、告げたその瞬間から、目的地にちゃんと着くことなど、どちらでも良いような軽やかさ、楽しさなのだ。
町は瀟洒で、活気がある。
町を抜ければ、落葉松とポプラの並木。足下には、朝露をたたえたオオバコ、ツメクサ。
なんという清々しさ。気持ちの良さ。
そのなかをシャンシャンと鈴を鳴らしながら小さな馬に引かれて小さな馬車は進んでいく、それだけでいい。それだけがいい。
これまでのことにも、これから先のことにも、繋がらない、
現実の時間から束の間離れて、まるでエアポケットのようなひとときがあったらいい、と思う。
この軽やかさ、楽しさは、そういうどこにも繋がらない、どこかにふと降り立った異邦人の軽やかさ。


いつのまにか靄は晴れている。
一羽の鳥―オオジシギ―が鳴きながら上っていく空はどこまでも広くて、高い。
哀しみであっても、ほかの何かであっても、どこまでも高く深いところでは、こんなにも透明で静かだ。
上って下りて、を繰り返すオオジシギが二つの世界をつないでいる感じがよい。