『オルフェオ』 リチャード・パワーズ

オルフェオ

オルフェオ


自宅台所を実験室にして、日曜生物学の実験に勤しんでいた老齢の作曲家ピーター・エルズは、バイオ・テロの疑いをかけられ、家宅捜索を受ける。
彼は自分の置かれた状況を把握できないまま、その場を去り、逃亡生活に入る。
ニュースやネットの情報から、彼は言い逃れのできない立場に追い込まれていることを知る。
そして、自分のやっていたことは重罪なのではないか、と思い始めてもいる。


彼のこれまでの人生が、思い出となって順繰りに表れてくる。
そして、同時に、さまざまな音楽が、遠く近く、聞こえてくる。(彼のこれまでの歩みは、ひとつの音楽のようだ)
愛した人や友たちと作り上げた音楽と、捨て去られ、忘れられた音楽。
すべてが、大きなるつぼにとりこまれ、ぐるぐるとまわっているようだ。
現在対峙している姿のない敵への不安と、常に彼をとりまき、彼から湧き出てくる音楽の聖性(のようなもの)とが、相まって、不思議な読書。
 >音楽と化学は長い間生き別れになっていた双子のようだった。
 >音楽は“何か”そのものであって、何かを“意味”しているのではない
 >聴くことのできない音楽ほど美しいものが他にあるか?
示唆に富んだ言葉が輝きながら現れ、その言葉の意味を深く知りたくて(知りえたとは思えないけれど)立ち止まる。


エルズは何を極めようとしたのだろう、彼の音楽は何だったのだろう、彼の人生は何だったのだろう、そう思いながら読み進めてきた今、戸惑いつつも、音楽は必ずしも音の出るものである必要はないのだ、と思い至る。
実験室で音楽が生まれるなら、物語も音楽になるにちがいない。
この物語が、一つの壮大な音楽だった。私は、ずっとそれを聴かされていた。(だけど、どんな?)
 >僕が望んだのは畏怖だ。
 >驚きだ。
 >爽快な気分。無限の感覚。
 >そして“変化”だ
聴衆としてのわたしの耳については、(そして感性については)全然自信がないのだけれど・・・
畏怖、無限という言葉に圧倒される。この物語に圧倒されっぱなしだった。でも、それだけではだめなのだ。
もっと違うものがたちあがってくるのを感じるのだけれど、それはあまり意味がないものなの? 物語の節目節目で問いかけてみたくなる。
壮大な音楽の、主題曲のさらに地下深く鳴りつづけている・・・
エルズの挑戦する音楽が、そしてこの物語の音楽が、わたしとはあまりに遠いところに向かっているようで、気おくれしてしまう。
だけど・・・
 >彼は正直に言う。美しさ。
美しさ・・・最後に「後ろめたそうな告白」のように出てきたこの言葉に、はっとする。
そして、彼がどのような「美しさ」を美しい、と感じるのか、とても気になる。


感動する、というよりも、ずっと得体の知れない怪物を追いかけているような読書だった。でも、その怪物の心臓にあるのは、「それ」だったんだ。
やっと、私の耳に音楽が聞こえてくる。星のよう。素直に美しいと思った。