『むだ話、薬にまさる』 早川良一郎

むだ話、薬にまさる (大人の本棚)

むだ話、薬にまさる (大人の本棚)


「若いとき、人は自己の限界を破るのに努力する。老いては自己の限界内にとどまるように努力する。身も心もである」という著者の、定年退職後の暮らし。
愛犬チョビと散歩をしたり、好きなパイプで煙草を吸いながら、身の周りに、見えること、聞こえること、感じること、について、ときどき皮肉なども交えながら、語る。
その語り口が、いつのまにか、近所のちょっと素敵なおじいちゃんの声で聞こえてくる。いつもにこにこして、気さくだけれど控え目な人。話すといろいろなことを知っていてびっくりしてしまう。実はかなりのインテリさんの、あの人とだぶる。


むだ話さ、と思うけれど、おやおや、ちょっと度が過ぎませんか、それは無神経じゃないですか、と思う箇所もある(たとえば『Xマスケーキ』、薬もドが過ぎれば毒になる)
けれど、おおむね、人の良さそうなご隠居さんの顔が思い浮かんできて、ふふふ、と笑う。
ふふふ、と笑って通り過ぎていく。ときには、呑気に聞き流し、読み流したい読書もある。


ときどき、ちょっと立ち止まる。
たとえば、『教訓』
犬の散歩中に道を聞かれる。
過去、勘違いから間違った場所への道順を教えてしまったことを思いだし、愛犬を抱いて車に同乗して道案内することになる。
わたしはこの話が好きだ。人のよい著者の親切が好き。そして、その親切を受け入れる人がもっと好き。双方の間に流れるゆったりとした時間がもっともっと好きだなあ、と思う。


『お茶』も好きだ。
おいしいお茶を淹れてくれたあの人のこと。最初と最後の話の間にはどんなドラマがあったのだろう。
読み終えて、おいしいお茶をごちそうになったような気がしている。


『金貨』には、「中流というのはゆったりと日々を丁寧に生きている人びとだろう、と思うけれど・・・」というくだりがある。
自分の身辺をふりかえり、確かにねえ、と思う。
中流」なんかじゃなくてもいい。「ゆったりと日々を丁寧に生きる」・・・なんて遠い言葉なのだろう。それだけのことがなんでできないのだろう。
それでも思う。だから思う。足元を見ながら静かに暮らしていこう、今日、今、この一時を大切に、と。不安で苦しい気持ちのときには、なおさら。