『トンネルの森 1945』 角田栄子


作者の子どものころの物語、戦争の物語である。
5歳のときにおかあさんが亡くなり、それからすぐ戦争が始まった。
その後、預けられていた大好きな祖母の元を離れて、小学生のイコちゃんは、「お母さん」とは呼べない光子さんと幼い弟のヒロシと一緒に疎開先で暮らすことになる。


爆弾が落とされる心配は滅多にない農村。イコちゃんはまだ小学生。
村の子どもたちになじもうと、東京言葉をやめて、笑われながらも土地の言葉を覚えようとする。子どもたちの中に溶け込もうとする。
自分と同じように東京からやってきた疎開っ子が気になる。
戦下の子どもはせいいっぱいがんばって元気でいる。
それでも、押しつぶされそうな不安と我慢を重ね続けた辛さがどうしようもなく伝わってくる。


象徴的なのがトンネルの森。
それは、イコちゃんの家を出てすぐのところにある深い森の中の道で、小学校に通うには、ここを通らなければならない。
真っ暗で、不気味で恐ろしげで、不安の塊みたいな森のトンネル。けれども、やがては、かすかなハーモニカの調べとともに、その深さ暗さから、不思議な慕わしさと慰めを感じる場所になっていく。
イコちゃんは、思っていること、感じていること、を、言葉にして、歌にして、トンネルの森に聞かせてきたのだ。
暗くて深い森にはいろいろな物が潜む。おどろおどろしい反面、豊かさをたたえた森でもあったのだ。


一緒に暮らす光子さんとの関係の微妙さも辛い。
光子さん。お父さんの再婚相手。
東京の便利な下町商家の暮らしを離れ、不便尽くしの農村での疎開生活。困窮する食べ物。そして、夫の不在。
幼子を育て、夫の前妻の子を抱え、充分ではない(なさすぎる)食糧を確保するために奔走し、光子さんの苦労は想像してあまりある。
よいとか悪いとかではなくて、二人、埋めることのできない距離や、互いに噤んでしまう本音など・・・近づき合う努力を重ねる暇さえもなかったのだろう。(イコちゃんは敏感に察してしまう。光子さんが黙ってすっと目をそらすとき、光子さんの胸の内に何があるかを。)
イコちゃんがどんなに孤独であったか。お父さんのセイゾウさんが死んだら私はひとりぼっちになってしまう、という心細さ。本当は安心して甘えたりすねたりできるお母さんがどんなに欲しかったことか。
だけど、光子さんには、そこまで想像する余裕は・・・もし、仮にあったとしても、きっとそれどころではなかった。ただ生きる、生かす、それだけでやっとだったはずの、頼るもののない、ぎりぎりの日々だった。
光子さんのけなげさにわたしは触れながら、光子さんをこのように描きだしたのは、そして、わたしに彼女を近しく感じさせてくれたのは、大人になったイコちゃんの筆なのだ、とそう思うと、ふわりと気持ちがやわらかくなる。
(ことに、振袖のエピソード、殺伐とした時代のさなかに、なんと明るいことだろう)


真夜中、疎開先の田舎家からも、遠い空が昼間のように明るく見えたという東京の空襲。
住んでいた人はほぼ殺され、行方不明となったその空襲を伝える大本営発表は、「火災生じるも、損害極めて軽微なり」ほんとうなのだろうか、と素直な小学生は疑い始める。
最後にはカミカゼが…と言う人の言葉には、吹くなら大切な人たちが死ぬ前に吹いてほしかった、と小学生は思う。
大人が目をそらして見ないようにしているものが、うっすらと透けて見えている。
大きな声で繰り返し伝えられてきたことや、常識だと思っていたことに、「本当にそうなのだろうか」と考える。
子どもをなめてはいけない。
辛く厳しい毎日であったが、いつのまにか目に見えないところにある、本質的なものに気がつくようになってきていたのだ。


両親とタクシーでデパートに行き、食堂でお子様ランチを食べた、ほんの少し前の楽しい日。それは、私たちが現在過ごしているごく普通の楽しい日といっしょだ。
それなのに、
「どうしてこんなことになってしまったのだろう。私の周りには、だれひとりとして、幸せな人はいない」とイコちゃんはいう。だれひとりとして! なんという叫びだろうか。


そうして「戦争が終わったよ」で終わる。
イコちゃんのマネをして私も言う。どうせ終わるなら、みんなが元気なうちに、終わってほしかった、と。だれ一人も死なないうちに終わってほしかった。
乾燥場のおうちで見た背表紙の揃った百科事典。「ドララ、ドラララ」のオルガン。その後、どこへいったのだろう。あの子たちといっしょにあるのだろうか、とふと思いだす。