『子どもと子どもの本のために』 エーリヒ・ケストナー


「優れた文筆家は、どんな特殊な才能が付け加わったら、すぐれた子どもの本の著者になれるか」との問いかけ対する一つの答えは、「自分自身の子どものころと、破壊されていない、破壊されることのない接触を持ち続ける」という長所を持って居ることだそうだ。
自分の子どものころとの接触・・・
自分自身の子ども時代…覚えているつもりでいるけれど、いつのまにか、大人になった「今」の私が混ざり合っているような気がする。
子どもの本の作家でなくても、自分の子ども時代を覚えていることは、とても大切なことのように思う。


ナチスの時代に著書を燃やされ、書くことを禁じられ、二度もゲシュタポに逮捕されながら、ついに国外脱出(友人たちに何度も促され、何度ものチャンスを持ちながら)をせず、時代の証人でありつづけたケストナーである。


第三帝国で成長した子どもたちは、戦争の勇士の崇拝になれ、「武装解除」をかんたんには受け入れられなかったし、受け入れることを欲しなかったという。
第三帝国が終わるまで、12年かかったが、「十二年という短い歳月はドイツを破滅さすのに十分であった」という。
焦土のドイツで、ケストナーは、若い人たちに語り続ける。

>精神と信仰の歴史は、同時に非精神と迷信の歴史です。文学と芸術の歴史は、同時に憎しみとねたみの歴史です。自由の歴史は、同時に自由の弾圧の歴史です。火刑のためのたきぎの山は歴史の交点であり、焦点であります。偏狭が天を暗くする時、無知暗愚な人間どもがたきぎの山に火をつけ、夜を祭日にします。そうすると、火と煙の中で、文学に対する人質殺しが行われます。そうすると、「全体を代表する一部分」が「全体を代表する術」になります。
ケストナーは、あの日、自分の本が火に投じられるのを見ていたのだ。
>本は燃えました。ベルリンのオペラ広場で。ミュンヘンのケーニヒ広場で。(中略)わたしはもっと危険なこと、もっと致命的なことを体験したことはあります。――しかし、これより下劣なことは体験したことがありません。
文学をないがしろにすることは(文学を学ぶことをないがしろにする国は)焚書に通じていないか、と思う。「本を焼くものは、人も焼く」という言葉が暗く冷ややかに胸にこだまする。


ケストナーは若者たちにいう。「皆さんの子ども時代を忘れてしまわないようにしなさい!」と。

>…子どものころをほんとに思い出すということは、つまり、何が本物で、何がにせ物であるか、何が善く、何が悪いかを、とっさに長く考えずに、知ることです。大抵の人は子どものころを、雨がさのように忘れ、過去のどこかに置きっぱなしにします。だが、その後の四十年五十年の勉強も経験も、最初の十年間の精神の純度を埋め合わすことができません。子どものころは私たちの灯台です。
石井桃子さんのあの言葉が、よみがえる。よみがえり、ケストナーの言葉と重なる。
 >子どもたちよ
  子ども時代を しっかりと
  たのしんでください
  おとなになってから
  老人になってから
  あなたを支えてくれるのは
  子ども時代の「あなた」です