『マザーランドの月』 サリー・ガードナー

マザーランドの月 (SUPER!YA)

マザーランドの月 (SUPER!YA)


マザーランドという不気味な国。まだそのありようがおぼろな、読み始めの時から、怖かった。
段々実情がわかってくるにつれ、その恐ろしさは加算されていくのだけれど、何よりも怖いのは、この国の人びとの暮らしが、過去のどこかの国のコピーではなくて、もしかしたら、私たちのすぐ目と鼻の先にある未来の暮らしのように思えなくもないことだった。


ひとつの陰謀が進んでいる。それは、あまりにお粗末な茶番なのだ。こんなことで人が騙されるのだろうか?と思うような。
でも、独裁国家では、きっとそういうことはありなんだ、と思う。
国民誰もが同じ顔、同じ姿勢で横並びでいることを強いられ、恐怖に支配されて、自ら考えることができなくなった人の群れをさらに騙すには、仕掛けはお粗末な茶番劇がよいのだろう。お粗末ならお粗末なほど良いのだろう。
独裁国家では、きっと人は自らすすんで騙されようとするのではないか、とそんなふうに感じる。
そして、ますます恐ろしくなる。
なんらかの陰謀がある、なんらかが隠されている、と気がつき始めたときから、もうひたすら文字を追いかけていた。本を下に置くことができなくて!


ストーリーよりも何よりも惹かれるのは、主人公(語り手)のスタンディッシュという少年。
彼は難読症で、読んだり書いたりすることが苦手だ。靴紐やネクタイを結ぶこともできない。
周りからは、愚かだと思われている。
ほら、ほら、ほら。
先日読了した『自閉症の僕が跳びはねる理由』を読んで感じたことを思いだす。
人は、自分自身を中心に他人を判断してしまいがちだ。
(自分が読めるものを)読めない者は、自分にできるほかのことも(自分より)できないのではないか。(自分が楽に結ぶものを)結べない者は、自分にできるほかのことも(自分より)できないのではないか。と。
相手がもっている素晴らしいものを自分はもっていないかもしれない、などという想像力は働かせづらいのだ、ということを、またここでも認識させられる。
人の思惑を利用し、みずからが持つ素晴らしいものを決して手放さないスタンディッシュは、読めば読むほどにその姿が大きくなっていくような気がする。
独裁者たちが隠しておきたいものをまっすぐに見据える彼の瞳がほかの「みんな」と違う特別な理由をわたしも感じる、彼の親友ヘクターといっしょに。

>「世の中には、線路みたいに一本線でしかものを考えられないやつと、スタンディッシュ、おまえみたいなやつがいるんだ。想像の公園をふきぬけていく風みたいなやつが」
>「それから、スタンディッシュがいる。公園をふきぬけていく想像力を持ったスタンディッシュが。ベンチには気がつかないのに、あるはずの犬のふんがないことに気がつくようなやつが」