『自閉症の僕が跳びはねる理由』 東田直樹

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心


わたしが人に自分の気持ちを伝えようとするとき、無意識に、言葉に、表情や仕草を添えている。時には、言葉なしで、表情や仕草だけから、相手の気持ちを推し量ったり、推し量られたりする。
でも、そういうことに頼るのはすごく危険なことなんじゃないか。ちらっとカミュの『異邦人』(感想)が頭に浮かんだ。


自閉症のぼくが跳びはねる理由』は、「普通のひとになることは、僕にはとても難しいことでした」という東田直樹さんが、中学生の時に書いた本です。
自閉症とは、どのような障害なのか、自分の言葉で説明することによって、僕は障害を受容したかったのです」と、著者は言います。(カバー折り返しの言葉)
この本は、「普通のひと」(本の中の言葉による)から「自閉症のひと」への、具体的で、かなりあけすけな58の質問に対する答えだ。
著者は、丁寧に自分自身と向き合い、誠実に言葉にして、「普通のひと」(ほんとに何という言葉!)に説明します。


58の回答(?)を読みながら、私は自分がなんという小さな世界に甘んじて生きていたのだろう、そのために、自分とは「違う」人たちをどんな苦しい場所に追い込んだのだろう、となさけなくなった。
私はものをちゃんと見ていたのだろうか。実は特別な眼鏡をかけて見た、かなり歪んだ形を、本当の形、と思いこんでいたのではなかったか。
あるがままを見て受け入れているつもりで、自分を囲む一部の人たちにだけ通ずる感覚や価値観を気がつかないままに付加して、それでものごとを判断していたのだ、と知らされた。
たとえば、みんなと離れて一人でいることが多い人は、一人でいることが好きだからだ、と思っていた。
同じテレビ番組を何度も見る人は(そして、そのフレーズを何度も口ずさむのは)それが好きだからだ、と思っていた。
勝手に「・・・だから」と理由づけして、わかったような気持でいたことが、ほかにもたくさんあった。
自分だって、私自身の行動の理由がわからなくて、途方にくれることもあるし、自分を持て余すこともあるのに。


そもそも「自閉症」という言葉も本当は変なんじゃないか、という気がしてきた。
似た者同士だけが固まって扉を「閉ざして」いるのは、「普通の人」といわれる私たちの社会のほうだ。


「はじめに」の「みんなが僕と同じだったらどうだろう」という言葉から、『リハビリの夜』(感想)の「あなたを道連れに転倒したいのである」という言葉を思いだす。
けれども、東田さんは、穏やかに、東田さんのようなひとにとって、「普通のひと」のようになることはとても難しいのだ、と語る。
理解されない苦しさ、同化しきれない苦しさが、生きているすべての時間の中に満ち満ちていることが伝わってきて、読むのが苦しく、恥ずかしくもあった。
教えられることはたくさんあった。
何かを決めつける前に、待って待って待って、丁寧に繰り返し繰り返しの中から時間をかけてこの世に現れてくるものをどうして待てなかったのだろう。
自分の同族だけが一列に横に並んでそのまま遠くまで駆けていけたら、それでよかったのだろうか。そのために、置いてきぼりになったのは、少数派の人びとだけではない、私たちの中にもあったはずのもっと大切なものもまた、忘れ去られ、置いてきぼりにしてきたような気がしてならない。


東田さんの感性の、美しいものを美しいと感じる部分に、とても惹かれた。
たとえば「32 物を見る時どこから見ますか」の答え、それは私には真似できない見方であるが、そのような見方をすることから東田さんは、一つの形の中から美しいものをまっすぐに見つめる。「僕たちは、その美しさを自分のことのように喜ぶことができるのです」
また、「37 手のひらをひらひらさせるのはなぜですか」の答えのなかには、小さな光の分子がきらきらと満ちているさまに、圧倒された。
回転など、規則正しい動き、秩序のある美しさなどにも、私が想像するよりもずっと深いところで、著者は感じているのだろう。
ああ、なんて美しい世界・・・
私にはたぶん体験したことのない世界、見えているのに気がつかなかった世界。東田さんが伝えてくれたイメージは本当に美しい・・・
彼のようなものを見る目、感性をもちあわせていないことが少しさびしくなる。


24番目の質問「自閉症の人は普通の人になりたいですか」との質問には、いろいろな意味で、どきっとした。
東田さんの答えに感動してしまう。
「・・・もし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかも知れません」
もし、わたしが、たとえば、自閉症が普通だ、という社会に、ただ一人放り込まれて、一人なりのくるしみと孤独を嫌というほど味わって、それでも「みんなと同じにならずにいたい、今の自分自身を決して手放したくない」と願えるだろうか。願いたい、と思う。でも、それは、きっと想像する以上に困難で恐ろしく勇気のいることだろうと思う。
そして、この世界で、「このままの自分を選ぶかもしれない」「僕」のような人たちが、自分を失うことなく生きていけるように、
「私」もまたそうあるように、だれの「私」も尊重されるように。
この本は、素晴らしい贈り物だった。


挟み込まれたいくつかのショートショートの物語、巻末の短編小説、どれもよかった。
どの物語にも東田さんがいて、苦しみながら悩みながら、でも自分自身を大切にしながら、必死に生きていた。