『絵本 彼岸花はきつねのかんざし』 朽木祥/ささめやゆき

絵本 彼岸花はきつねのかんざし

絵本 彼岸花はきつねのかんざし


児童文学『彼岸花はきつねのかんざし』の、詩のような美しい文章が好きで、この本が絵本になるとしたら、文章はどんな感じになるのだろうと思っていたけれど、
物語からも、文章からも、受ける印象は、静かで美しいままだった。
声に出して読みたくなる文章だから、そして、絵本なら一気に読み切るのにちょうどよい長さだから、だれかに読み聞かせたくなる。
そして、読み聞かせてもらった誰かが、いつか、図書館とか本屋さんの棚で、いつか読んでもらった絵本が字の本になっているのをみつけて驚く。そんな光景が見えるような気がする。
(児童書『彼岸花はきつねのかんざし』の感想は、ここここ


文章とともに、ささめやゆきさんの絵が、豊かなイメージで物語を語る。
すすきの野原やひめじょおんの野原、それから竹林。
舞台はどの場面も「いちめんの」という言葉が似合う広がりだ。どの場面にも、風がとおるのを感じている。
とりわけ竹林の様々な表情。
日が暮れかかった竹林、
光の網の中のすずめになったみたいな感じがする、日射しの降りそそぐ竹林、
ざわざわ、笹がうるさく話し続ける、もうすぐ雨が降りそうな竹林。
植物の匂いを感じる、音が伝わってくる。空気の湿り気も。
そこにちょこんときつねの子どもが現れる。


「子ぎつねが、とんがった口の先にくびかざりを引っかけて走っていく姿」
「きつねはうしろあしで立ちあがって、頭をめぐらして、トンボを見送った」
「子ぎつねは口をちょっと開けて、笑っているみたいな顔になった」
子ぎつねのしぐさが、愛おしくて、なんだ、うちの犬とそっくりじゃないの、と思ったら、顔まで似ているような気がしてきた。
体温や、ざらざらした毛の手触りも、重ねてしまう。
だから、花束の真ん中あたりの「犬のくわえたようなあと」がたまらないのだ。


「たとえ戦争も原爆も知らなくても、たとえば、かわいがっていた猫がある日ふいに姿を見せなくなったら、せっかく仲よくなった友だちが急にいなくなったら――そんなさびしさや悲しさなら、こどもたちにも理解できるでしょう。」
「あとがき」の作者のことばです。
荒々しい言葉や表現に頼ることなく、大切なものをそっと差し出してくれる美しい反戦の絵本です。