『八月の光・あとかた』 朽木祥


文庫で『八月の光』を読み返すことと、単行本には収録されていない『あとかた』の二作『銀杏のお重』と『三つめの橋』を読むことを楽しみにしていた。
(『八月の光』初読の感想はここです。)


『銀杏のお重』の「お重」が人の名前でははくて、重箱のことであることに読み始めて気がついた。
この時代には当たり前のように、よくある話だったのだろう。「祝言あげて、すぐおらんようになって、帰ってこんかもしれん」人のもとに娘を嫁がせるということは。
けれども、帰ってこられないかもしれない戦地へ出ていく人への、生きた贈り物のようで、残酷で、痛ましく思えて仕方がなかった。
「大切にされてきた長い時間」「たくさんの手間」「懐かしい記憶」を重ねてきた美しい「銀杏のお重」は、この家で、この母のもとで大切に育てられた三人の娘たちの姿そのもののようだ。
大切に大切に育てた娘・・・
丁寧に磨き重ねられた娘の、内面からにじみ出る美しさが、一枚ずつむしりとられていくような、戦下での、夫不在の結婚生活・・・想像してあまりある。
「生きておったら、そのうち、またええ日が来る」というが、「ええ日」を見ることはとうとうできなかった。


美しいもの、清らかなものが失われたことは悲しい。
けれども、醜いもの、濁ったものも、どうともいえないものも、そして、これからどう変わっていくかもわからないものも、分け隔てないまま、そっくり、あっというまに消えてしまったこと、生き延びつつ苦しみ続けたことを、なんという言葉で表したらいいだろう。


この本におさめられた五つの物語、どの物語に出てきた人びとも、どこにでもいそうな人たちだった。
ささやかに家族助け合って暮らした人びともいたし、小狡い人も、強欲な人もいたし、美しいものがただ好きだった少女のような人もいた。働き者も怠け者もいた。辛い経験に心が壊れたままの人もいた。
どの人びとのエピソードの中にも、少しずつ、あの時代に生きた人びと、わたしの母や祖母が、おばやおじがいるような気がする。
そして、後の世に生きている私自身に、弟や妹に、夫に、子どもたちに、なんてよく似ているのだろう。
『雛の顔』のあの中学生はどうなっただろう。橘川さんの老夫婦はどうしただろう。昭子の友達の道子さんやおかあさんはどうなっただろう。
『石の記憶』で、テルノをみかけたといった植田さんのおばあさんはどうしただろう。石丸のじいさんは、おばさんと重治くんはどうしただろう。
もうわからない。

>三十万の死があれば三十万の物語があり、残された人びとにはそれ以上の物語があります。
と、あとがきの言葉。


「水の緘黙」と「三つめの橋」は、あの日のあとに生きのこった人びとの物語でした。
たった数年で、あっというまに街は復興する。
この町の川はほんとうに美しいにちがいない。
でも、無邪気な「きれいじゃなあ」という言葉は、あの日に繋がってはいない。あの日の悪夢のような姿は、宙ぶらりんのまま、置いてきぼりにされている。
あの日を知って居る人は、復興し賑わっていく町の中でどのように置いてきぼりにされたのか、
無邪気に川の美しさをたたえるほどに過去の悪夢を葬り去ろうとする人びとが、そのくせ決して忘れようとしないものが、あるのだ、と嫌な気持ちになる。
・・・名前を忘れてしまうほどに苦しんだ人が名前を取り戻すまで静かに待ってくれたのも人間だったけれど、
やっと生き延び、母を見送り、幼い妹を育てながら必死に生きてきた人を容赦なくうちのめすのもまた、人間だった。


けれども、『三つめの橋』の最後の場面から得たこの気持ちはなんと表現すればいいのだろう。
一瞬ぞくっとする場面が蘇ったような気がして、反射的に拒否しかけていた私をとめ、その場面の印象を全く別のものに変えたのは、主人公の言葉だった。
「おかえり」という言葉がこんなに美しい言葉だったか、としみじみと思っている。
『三つめの橋』の最後のページが、『水の緘黙』の最後の一文と重なる。


感傷的な言葉を削り落とした文章は、読者をどの方向にも誘導しない。そのとき生きていたひとたち一人ひとりのリアルをしっかりと読者のもとに届けてくれる。


ほんとうは言葉になんかできない、感想を書くことが申し訳ないような気がしてしまう。
いつまでたっても感想を書けないような気持になってしまう五つの物語を読んだ後、この本のなかの人たちと私とが繋がるのは「死にたくない」という思いなのではないか、と感じた。
あの日の朝、だれも死にたくなかった。
死にたくない自分というこの場所から、同じように死にたくなかったはずの人の無念さ、大切な人を死なせてしまった苦しみを想像するしかない。
こんな朝がこないように、どこのだれのもとにもこないように、今。今、ただ祈るだけではきっとだめなんだ。