『マーリー―世界一おバカな犬が教えてくれたこと』 ジョン・グローガン

マーリー―世界一おバカな犬が教えてくれたこと

マーリー―世界一おバカな犬が教えてくれたこと


本を読みながら何度も、今、手許にいる子犬の顔を眺めた。
(それから、昔一緒に暮らした妹みたいだった犬のこともあれこれ思いだした。今でも時々、彼女にむちゃくちゃに会いたくなる)


犬と一緒に暮らせば、わからないこと、うまくいかないこと、困ること、心配なことのオンパレードだった。

>犬と暮らすからには、壁は壊れるし、クッションは破壊するし、敷物はぼろぼろになるものだ。どんなつきあいにも犠牲はつきものだ。
我が家の居間を眺めつつ、うんうんと相槌を打つ。
我が家は、まだ子犬とともに暮らし始めてたった二か月だというのに、なんというありさま。
あれこれ問題が起こるのは、犬の個性なのか、飼い主の不勉強のせいなのか・・・いやいや、そんなことはどうでもいい。
これから先、きっと予測できないような困ったことは何度も起こる、と覚悟する。
そして、縁あってともに暮らす仲間になった、それはずっと変わらない、と本を読みながら再確認する。
それでも、ときにはお互いうんざりすることもあるに違いない。途方に暮れることもあるに違いない。
そんなときにはマーリーとグローガン一家のことを思いだそう。


この本をどのくらい読み進めたころだろうか、タイトルの「世界一おバカな」という言葉が最大級の賞賛の言葉である、と気がついたのは。
いっぱい笑っていっぱい泣いて、最晩年の日々でさえも、ひたすらに生きようとする、マーリーの姿に打たれた。家族とともにいることを喜ぶ姿に打たれた。
でも、まだまだ「教えてくれたこと」に相槌を打つには、そこに到達するには、きっと私たちは早いのだ。家族としては、犬も人も新米同士。
いつか私たちも(家族ともども)、バカ犬クラブに入れてもらうことを目標に、これからも丁々発止とやろうよね。うちの子犬。
さきほどの引用は以下のように続く。

>犬と暮らすからには、壁は壊れるし、クッションは破壊するし、敷物はぼろぼろになるものだ。どんなつきあいにも犠牲はつきものだ。僕らはその犠牲を受け入れたし、マーリーはそれに見合うだけの喜びや楽しみや保護や仲間意識を与えてくれた。マーリーにかかった費用や修理代などを総計すれば、きっともうヨットを買えるくらいにはなっていただろう。けれど、ヨットを何隻持っていたところで、玄関で一日中帰りを待っていてはくれない。一緒にそりで丘を滑ったり、顔をなめたりはしてくれない。