『オン・ザ・ライン』 朽木祥(小学館文庫)

オン・ザ・ライン (小学館文庫)

オン・ザ・ライン (小学館文庫)


『オン・ザ・ライン』が文庫になった。
文庫を楽しみにしていたのは、単行本にはなかった作者のあとがきを読みたかったからでもある。
同じ海でも太平洋と瀬戸内海には異なった趣がある、という言葉が印象的で、そう言えば、と思いながら単行本と文庫本の二冊の表紙の青を比べている。海ではなくて、空の青。真っ青な空だけれど、青さが違う。二つの青が、ともに物語を進行を表しているように感じています。
(文庫本表紙の、舞い上がったボールが、一セットめの終了を告げながら、二セットめに繋がっていくような気がしている)


『オン・ザ・ライン』
初読みの感想はこちら。再読の感想はこちら
繰り返し読めば、そして、時間を置いて読めば、今まで気がつかなかったことに気がついたり、なぜ今それが気になるのだろう、と思う場面にもであう。再読の楽しみです。
これまでに書いた感想と重なることは省いて、今回感じたことだけをメモしておこうと思います。


カラス坊と貴之は似ている。
久しぶりに『オン・ザ・ライン』を読んでそう思った。
二人とも、「弱い大人」を背負って大きくなったのだ。誰にも頼ることができずに。
二人とも、なぜ侃に惹かれたのだろう。
侃が、自分の弱さにまっすぐ向かい合おうとする場面が印象に残る。 >弱いのは貴之のお母さんばかりじゃない


どこで聞いた話だっただろう。白いヒツジの中に混ざった黒いヒツジを「厄介者」というそうだ。
あいつこそは黒いヒツジだ、と思ってヒツジの群れを見ていると、ある日、黒いヒツジなんてどこにもいないと気がつくのだ。
自分こそが黒いヒツジだった・・・という話を思いだした。
でも、本当は真っ白なヒツジなんてどこにもいないのではないだろうか。それぞれ、少しだけ、どこかが黒いのだ。
貴之もカラス坊も強いなあ、と思ったけれど、二人とも、だれよりも自分の弱さに向かいあってきた人なのではないか、と思った。
貴之の「俺の憧れだったんだ」という言葉に至ったとき、
憧れを知る人は自分の弱みを知っているのだ、と思った。知っているから、憧れるのだろう。


侃の祖父の存在感も大きい。すごい人なのだ。
けれども、このすごい人がすごいままで出てきたら、侃の物語ではなくなってしまいそう。
だから、スイッチが入る、切れる、という二つの状態があるのが、ちょうどよいのだろう。
祖父の言葉はなぞかけのように宙に放たれて、ああ、もう少しそこのところをどうか・・・というところで消えてしまう、
だから聞かされた側は一生懸命考えるし、そのまま保留にしておいて・・・あとになって、言葉がふいに生き返ったように思えたりするし、実はわからないままで終わってしまったりもする。
「自恃」という言葉が心に残る。
この言葉が生きるのは、自分の弱さに向かいあう覚悟ができたときだ、きっと。自分の弱さを知っているだけじゃなくて。
そして、どん底を体験している若者(若者に限らず)が、侃のように、自分と向かいあう用意をするための場所(形のあるものでも、ないものでも)を持っていられたらいいな、と思う。それまで待ってやれる周りであったらいいな、と思っている。