『明け方のホルン』 草光俊雄

明け方のホルン―西部戦線と英国詩人 (大人の本棚)

明け方のホルン―西部戦線と英国詩人 (大人の本棚)


19世紀初頭、ことに第一次大戦に従軍した七人の英国マイナー詩人をとりあげて、彼らの素顔に近づこうとしたエッセイ集でした。


なぜ、戦争詩なのだろう。
戦争協力のために組織された芸術家の部隊(?)があったそうである。
戦争協力?
しかし、この本でとりあげられている戦争詩は、どれもこれも、戦争を美化したものなどひとつもない。
(こういう詩を戦時に発表できたのだろうか。そのへんの事情などもうちょっと知りたい)
そして、彼ら従軍詩人(?)たちが戦争によって失ったものは計り知れない。
戦死したエドワード・トマス、自らの十字勲章を投げ捨てたシーグフリード・サスーン、戦後自らの戦争詩を否定したロバート・グレイブズ、精神を病んだアイヴァ・ガーニィ。
戦後、二度と戦前の自分に立ち戻ることができなかった沢山の詩人たち・・・


彼らは、「祖国のために戦い死ぬことは甘美で名誉あることだ」という言葉の大嘘を喝破し(戦争とは醜悪なものだ)自らは手を汚さない政治家たちの欺瞞に強い憤りを感じた、という。
それぞれの詩人たちの章で取り上げられた詩のどれからも、その思いが溢れてくる。
なかでも、イギリスの田舎の風景を抒情的に歌う田園詩人エドマンド・ブランデンの詩はすごい。
戦場を一種の田園詩として歌うのであるが、
著者の「かといって単に自然を単純に描いている、といったものではない。明らかに戦場なのである」との言葉どおり、
朴訥とした表現ゆえに、芯から冷えてくるような恐怖におじけてしまう。
田園=戦場、なのだ。地獄の田園詩。


しかし、彼ら(人)はなぜ戦争に志願するのか。
「ある種の熱狂が人びとを支配していた」
「祖国にたいする危機感が見られたとしても、平均的な人々の心の中に好戦的なもの、ヒロイズムがなかったとはいえない」
そして、メディア(『デイリー・メイル』誌)は、「英国の若者たちが「義務を回避している」ことについて扇情的に書いている」、「戦争の最中にサッカーをしたり観戦したりしている人々」をおおっぴらに非難する。
こうした世の中の流れに流されずにいることは普通の人たちにとって、どんなに苦しいことであっただろう。
このような時代のなかで「どうしたら詩を書き続けることができるか」というただそれだけを考えて志願した詩人もいたのだった。
そのとき、「誰も戦争が五年間も続くことになるとは考えなかった」という。
その結果が・・・彼らの「詩」のなかにあり、彼らの戦後(戦後があるならば)であった。


ぞっとしないではいられない。過去からの亡霊が蘇ってきそうで。
もしも、戦争がなかったら、彼らはどのような詩人になっただろう。どのような詩を残してくれたのだろう。
そして、詩人ではなかった多くのごく普通の人たちが、どのような人生を歩み切ったことだろうか、と思う。