『父さんの銃』 ヒネル・サレーム

父さんの銃

父さんの銃


訳者あとがきに、作者サレームの次のような言葉が引用されている。

「私は、イラクで生きるクルド人、凄惨な暮らしをしながら、幸福を夢みるクルド人について語りたいと思いました。でも、それを政治家のようには書きたくなかった。この本は、すべて少年の目を通して描かれています。少年の視点をとることで、私はきわめて深刻なものごとを鮮やかに思い出すことができたのです」
そして、そのとおり、物語は「・・・でもあのころ、ぼく、アサドは、まだ子供だった」と語り始められるのだ。
父と母、兄弟たち、いとこたち・・・主人公をめぐる小さな集合体に何が起きたのか、なぜ、そうなったのか、そうしてどうしたのか、誰が何を言い、何をしたのか。
クルド人の歴史も社会的な背景も、白紙状態のままに、少年の目がとらえたものをそのまま写しとった文章が続く。「ぼくは、まだ子供たった」という言葉を道連れに。
(もし、その時点で「ぼく」が子どもでなかったら、このできごとに進んで注釈を加えただろうけれど、歴史も社会情勢も知らない子どもには、それもかなわない。感情も顕わにならない。そのことが「子供」として戸惑っているようであり、別の世界の読者を吸引するようなのだ)
そういう少年の導きのまま、こちらも白紙状態のままに、イラククルド人社会へ、その数々のできごとの渦中に、吸い込まれ、気がつけば、そこにいる。
いきなり起こった理不尽な暴力。搾取。理不尽な沢山の死。恐怖。愚弄。奪われるもの、奪われるもの。恐怖。いくつもの騙し。
密告者たち、密告者と断じられた者たち。裏切り。辱め。あちらでもこちらでも、だれもが裁かれるものであり、裁くものである。恐怖。


やっぱり私は傍観者に過ぎないのだろう。甘いのだろう。この「凄惨な暮らし」のなかでの裏切りと、裏切りを許さないこととが、耐えられないと思うのだ。
そんな私を子どものアサドが導く。
「ぼくは、まだ子供だった」というアサドの言葉は、恥ずかしいくらいに恵まれていた私が身勝手な感想を持つことさえも許容しているように思う。
ひたすらに見たまま体験したままが描かれているから。
クルド人である、アラブ人に迫害され敵対するクルド人である、という立場に立ちながらも、アサドは、そのクルド人たちのなかで起きている「出来事」をどんな薄紙も通さず、そっくりそのまま私に見せる。(クルド人社会の内側からクルド人作家によって書かれた物語は私には初めてだった)
相手がどのように受け取ろうが、受け取りかねようが、それが自分の体験したことなのだ、と。
アサドの中の子どもは強靭だ。


・・・わたしはアサドとともに、子どものままに、ここにいる。アサドとともに旅をしている。そう思っていた。
アサドは最後に言うのだ。「ぼく、アサドは、もう子供ではなかった」と。
しかし、わたしは最後まで子どものままだった。(最後まで余所者のままだった)


この本一冊読んで、いったい何がわかったといえるだろうか。むしろ、自分が何もわかっていないことを、そして簡単にはわかることなどできないことを確認したようなものではないか。
あまりにその溝が深くて、その溝を想像でなんとか埋めている私が、相手を理解するなど、ほとんど絶望的に思えてくる。
民族ってなんだろう。
先日読み終えたばかりの『アラスカの小さな家族』の金鉱集落をふっと思いだす。
国、人種、民族、ばらばらな人間たちの寄せ集めの集落には、憎しみの入る隙間もない。理想郷のようだった。
『世界が100人の村だったら』に似ているのかもしれない。そんなことを考えて・・・やっぱりわたしは甘いのだろうか。


それでも、アサドは、少年なのだ。この物語の数年のうちに、恋をする。芸術への憧れに胸を焦がす。私もよく知っている憧れが、甘さと苦さをともなって表れる。
また、父への複雑な思い。尊敬とあこがれ、思慕、やがて、じわりと混ざりこんでくる幻滅。悲しみをともなった慈しみ。
そういうものに触れるとき、私は、この少年を思いきり身近に感じる。自分自身の分身のように。