『きみは知らないほうがいい』 岩瀬成子

きみは知らないほうがいい (文研じゅべにーる)

きみは知らないほうがいい (文研じゅべにーる)


「そういういい方をしちゃだめなんだ。そういうふうに、ひとまとめにする言葉は乱暴なんだよ、すごく」と昼間くんは言った。
ホームレスという言葉、いじめという言葉、老いること、それから・・・
ひとまとめにすると、本当は何もわかっていないはずのことにも、なんとなく「ああ、なるほどね」「そういうことね」と言いたくなってしまう。
そして、ひとまとめにした言葉には、ひとまとめにした解説をしたくなってしまうのだ。
たとえば、「そんなに我慢することないよ」「逃げていいんだよ」とか・・・それはとても優しい言葉に聞こえるから、その言葉が本当はとても乱暴だ、ということに気がつかなかった。
実際、逃げたほうがいい場面に出くわしたら、逃げられるだろうか、大人のわたし。今のわたし。
「考えてみると、小学生には学校をさぼって行ける場所なんて、そんなにないわね。かわいそうに」と米利(めり)のおばあちゃんは言った。


小学六年生の米利の語る言葉は、切っ先のするどい、でもとても繊細な言葉が次々で、思わず居住まいを正してしまう。
自分がどんなに乱暴な言葉とともに生きていたか思い知ってしまう。
「○○さんが・・・今まさに孤立しかけているのに、そのことを棚にあげて、どこかであるらしい「いじめ」の話をするのは、○○さんを置き去りにするのと同じことだ。わたしも置き去りにする側にいる」


顔に張り付いたたくさんの同じ笑顔がとろりととろけていくようで、すごく気持ちが悪い。でもそこから顔をそむけることはできないんだ。


教室のなかだけのことだろうか。一体この空気はなんだろう、この居心地の悪さはなんだろう、と思いながら、日々をやりすごして、やがて大人になる。
私は、米利たちよりも、もうちょっとだけ生き方が上手になっただろうか、それともそう思っているだけなのか、ちっとも変わっていないのではないか。
とっくに学校から遠ざかったはずなのに、あの種類の「学校」の空気はさらに大きくなったのではないか。あちらにもこちらにも、あの種類の「学校」の空気はあるのではないか。わたしには、思い当たることがたくさんあって・・・あちらからこちらから深く感じ、考え続ける米利に、顔をあげることさえできなくなる。
「生きているって何? とわたしは思う。まるで何かから逃げているみたいに見える。追っかけているのは何? 会いたくないもの? 見たくないもの?」
「たぶんだれも悪くはないのだ。だれも悪くないから、だからすごく苦しいことが起きてしまうのだ」


米利の言葉に驚き、共感し、ともに歩いていたつもりだった。いつのまにか置いてきぼりにされていた。
どこまでも終わりのない「学校」に向かって、米利は顔を上げた。「逃げてもいいんだよ」などという乱暴な言葉ではない、決意をこめて。
一つ一つの体験を、出来事を、ひとまとめにすることなく、乱暴ではない言葉で、感じとる。考える。
そうして今に至ったのだ。世界はひっくり返ることはないし、頼りなく危うい歩みであっても。
気持ちの悪い世界に、風が吹き抜けた。米利の脇で、一緒にかけていく愛犬ベルの足音が耳に響く。「しゃかしゃか。しゃかしゃか」