『突然ノックの音が』 エトガル・ケレット

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)


この一冊の本を喩えるなら、お人よしのならず者、と私は呼びたい。
無法なことなどもやってしまうのだけれど、冷酷に徹しきれないのが見え見えで憎めない。
そして、すましたお調子者でもあるかな。
さりげないふうを装いつつ、こちらがくすくす笑っているのを目の縁でしっかり確認して、ひそかに満足しているでしょう。
だから、時々、ちょっと心配になる。
本当はそういう顔の全部が仮面で、その奥の方には、小さなものすごい寂しがりやがいて、しょんぼりと座りこんでいるのではないか、と・・・


ごくごく短い短編(ショートショート)集。たくさんの物語。
そのトップバッターは表題作『突然ノックの音が』
扉はノックされる。そして、物語をせがまれる。
物語はノックの音で動き始めるのだ。


この本の中で、たくさんのノックが繰り返される。ノックの音とともにはじまるのだ。良きにつけあしきにつけ。
最初、ノックに気がつかないこともある。ずっとあとになってから、あのとき確かにノックの音を聞いた、と思うこともある。
運命はかく扉をたたく・・・のね。


イスラエルの作家の物語である。
「この国じゃ、なにかほしかったら、力ずくじゃないとダメなんだ」「右派の連中はイライラをアラブ人にぶちまける。差別主義者は黒人にぶちまける」
など、おだやかではない言葉に出会ってどきどきする。
数字の入れ墨が腕に残るホロコースト生存者も、サダム・フセインを標的にした戦闘機の爆風で妻子を殺された医師も舞台にのぼる。
チーズバーガー専門店(?)では、ユダヤ教の清浄食規定にのっとって、チーズ抜きのチーズバーガーを注文したりする。
安息日」を守り、「割礼式」「仮庵の祭」などの親戚同士の訪問なども話題にのぼる。
物語のあちこちに、国の情勢や風俗、そして宗教的な行事などがさらりと出てくる。
その都度、「ああ」と思うけれど、イスラエルを意識するのは、一瞬だけだ。
むしろ、どこにでもいそうな普通の人たち、私自身でもあるかもしれないし、隣人でもあるかもしれない人たちの日常が描かれる。
日常? このグロテスクでへんてこりんな世界が? そう、普通の人の日常は本当はこんなにグロテスクでへんてこりんなのだ、きっと。
だって、それをさらりと流し読みながら、この手で何かに触れたくなるのだから。そっと指を伸ばしたりしているのだから。本のなかに。
小さくて臆病なだれかに向かって。傷つきやすい誰かに向かって。