『家族を駆け抜けて』 マイケル・オンダーチェ

家族を駆け抜けて (カナダの文学)

家族を駆け抜けて (カナダの文学)


セイロン(旧スリランカ)・・・
マイケル・オンダーチェは、植民地時代にオランダからスリランカに渡った“バーガー”と呼ばれる入植者(特権階級)の家庭に生まれ育った。
(1943年生まれ、1954年にロンドンへ移住、ということは、『名もなき人たちのテーブル』感想はやはり自身の体験が下敷きになっていたのかな)
後にカナダに移り住んだ彼が、十年以上後に、スリランカを再訪し、一族のルーツを「物語」として再構築した。
ジャフナにある旧知事邸が彼の生家。
物語は、この邸の広い居間の、高さ6、7メートルに及ぶ扉を、互いに肩車し合った巨大な人間ピラミッドが通っていくイメージだ。
それは、著者オンダーチェを頂点に近い部分に置いた、類まれな一族の系譜である。


熱気が立ち込める。
家の外からは孔雀の甲高い声が響き渡る。でも、もっと気をつけていれば、遠くから川のざわめき、葉擦れの音なども聞こえる。
家の中に入りこむ蛇(たいていはコブラ!)は見つけ次第撃ち殺す。壁にへばりついてトンボを頬張るのは大きなヤモリ。


まるで取り留めもない様子で立ち現れる父方・母方の両方の祖先たち。
農夫、弁護士、軍人、司祭、ペテン師、毒薬の収集家・・・出てくる出てくる。
彼らは、一族の系譜のどのあたりにいたのだろうか。いったいいつの時代に生きた人たちなのだろうか。
それはあとから考える。知らないままでも構わない。
実像と虚像がないまぜになっているらしい、ということも構わない。(事実以上の真実があるのが「物語」ならば)
物語はユーモアと幻想味を兼ね備えた絵になって、目の前に浮かび上がり、陽炎のようにゆれて消えていく。
後に静かな余韻を残して。
類まれなひとりひとりをうかびあがらせていく。
もっとも懐かしく思いだされるのは父マーヴィン。いつになっても今一つ正しく像を結ぶことができない父のとらえどころになさ、ハチャメチャさと憂鬱とを、そっくりそのまま息子は懐かしみ愛おしんでいるようだ。
ララは母型の祖母。型破りで豪胆な彼女が、若い日に海で溺れそうになったエピソードが私は好きだ。途中、幾隻かの船とすれ違いながら、潮に乗って沖に流されていく彼女がオフィーリアに重なる。
何度も義母にショットガンで狙われつつ命拾いしたコブラは、亡くなった父が家族を守るために姿を変えて戻ってきたのだ、ということで話が落ち着いたらしい。これも、驚きの恐ろしさ(?)と緊張感と、さらにはしみじみとした懐かしさとおかしみとが交錯した好きなエピソード。


夜明け前、熱に浮かされるように語られる物語は、まるで千夜一夜物語のようでもあるし、一種のマジックリアリズムのようでもある。
ほんとうのことなの、いつのことなの、夢なの、と問うのはよそう。
ただ、語り部の語るまま、抒情的な文章の波に、心地よく身を委ねている。
もうすぐ灼熱の一日が始まる。