『七人のおば』 パット・マガー

七人のおば (創元推理文庫)

七人のおば (創元推理文庫)


ロンドン在住のサリーのもとに、ニューヨークの友人から手紙が届く。
七人のおばのうちのひとりが夫を殺害して自殺した、というのだけれど・・・
しかし、いったい誰が、なぜ? 犯人も被害者もわからない。
そもそも、そのことについて、おばたちは、なぜ連絡してこないのだろう。
これは本当のことなのだろうか、なんとも雲をつかむような話じゃないか。


サリーは15歳で両親を喪ってから、おばたちと一緒に暮らしたのだ。
おばたちは、サリーにとって母の代わりであり姉でもあった。
眠れなくなってしまったサリーに、夫のピーターは、過去のいきさつを何から何まで話してほしい、という。


サリー自身のおいたちと、おばたちの人生遍歴(?)の物語が始まる。
聞けば聞くほど、個性豊かな面々なのだ。
そして、彼らの親代わりでもある長女クララの(世間への)プライドが、妹たちの個性(?)をこれほどまでに際立たせる役割を果たしていることがわかる。
聞けば聞くほど、どのおばが夫を殺害しても不思議じゃない、と思えてくる。
さらに夫が妻を殺害しても不思議じゃないと思うし、そうだとするなら、なぜほかの人も道連れにしなかったのか、という疑問が、自然に頭をもたげてくるのである。
その一方で、だからといって、だれもが殺人を犯すほどに相手を憎んでいるだろうか、といえば、それも違うような気がする。
なんてまあスキャンダラスな一家だろう。
取り繕えば取り繕うほど、別の部分のほころびが見つかる感じで、それもまた一種のゲームといえなくもないハチャメチャさがある。
何度も最初の手紙を読みなおしたし、巻頭の家系図を確認したりしながら、彼らの行く末を気にしている。
そうだった、殺人事件が起きたんだ、このあと、このずっとあとに。
でも、夜を徹して語られる家族喜劇(?)は、殺人の匂いなどちっともさせずに、もはや終盤。
つらつらと語り続けられる思い出話の中に、犯人の名前と被害者の名前、動機までが隠されている、というのだろうか。いうのだわ。


物語はずっと語り手であるサリー目線。
サリーの目でものをみていると、このすごい一家の中で、サリーだけが平等で公平、そして、控え目に見える。
語り手とはきっとそういうものなのだろう。あるいはそのように読者に感じさせられるものなのだろう。
でも、すべてが終わったあとで、思うのだ。
・・・わからないよ。別の第三者から見た別の物語があるかもしれないよ。とか。
あれ、なんだ、このひねくれた気持ちは。ミステリはヒトを少しばかり意地悪な気持ちにさせるのかもしれない。