『ブロード街の12日間』 デボラ・ホプキンソン

ブロード街の12日間

ブロード街の12日間


1854年のロンドン、ブロード街のコレラ大発生のことも、その原因を突き止め住人を救ったジョン・スノウ博士のことも、私は全く知りませんでした。
でも、史実なんですね。これは、それをもとにした冒険物語でした。


ブロード街界隈に暮らす少年イールの友人たちは大人も子どもも次々に「青い恐怖」=コレラに倒れた。
彼は、死の床にある友人たちを救いたい一心で、麻酔医スノウ博士を訪ねたのだ。
イールは、地理の明るさ、人脈の豊かさから、スノウ博士の助手として活躍することになる。
彼はよく駆けていた。わたしも先へ先へと逸る心に押されるように、彼とともに駆け続けるような気持ちで読んでいた。
イールは身寄りもなく、今は住む家もない。
一人奮闘する彼の不遇な境遇が気になり、幾重にも抱え込んだ彼の秘密が気になり、そのために背中に迫ってくる追手に常にはらはらし、同時に彼の頭の回転の速さと行動力に魅了されました。


ブロード街はいわば貧民街。人びとから「瘴気」と呼ばれるようなどんよりとした臭い空気が満ちた街である。
この時代、一家の働き手を失えば、たちまち、その家はたちゆかなくなってしまう。家族は離散し、そうして、この街に流れてきて、最下層の「泥さらい(川くず屋)」になった人たちもいたのだ。
そのあまりに情け容赦のない社会の姿、やっと生きている明日の見えない人びとの姿に、暗澹とした気持ちになる。
貧しい人びとは、蔑まれ、理不尽を耐えなければならなかった。被差別の苦しみから生まれた小さくゆるやかな共同体などもあった。
この街をコレラが嵐のように吹き抜けたのだ。


イールがスノウ博士の助手になったのは、地理や人脈の明るさのせいだけではない。
彼は、機転がきくし、賢い。勇気もある。そして、彼の中に眠っている小さな科学の種に、きっと早くに博士は気がついていた。
スノウ博士はイールにヒントを与えながら、自分の頭で考えるように促す。イールはわずかな手がかりから答えを探していく。その探究の旅。冴えた知の道行きにドキドキする、わくわくする。
「学ぶ」ことも、「もっともっと学びたい」という気持ちも、なんて素敵なんだろう。
ふと思いだすのは『ダーウィンと出会った夏』(感想)の少女。祖父に導かれ、科学に目覚め、その世界の広さ深さに畏れつつ魅了されていく少女の姿と、イール少年の姿が重なるのだ。
彼の中で何かがはじけ、彼の前に、ふいに科学の扉が開くのだ。未知の世界に足を踏み出していく少年の眩しい姿を読んでいると、喜びと興奮が胸にいっぱいに満ちてくる。


現実に起こった出来事、実在した人びと。その間に、作者によって送り出された人々。
そこにミステリが立ち上がり、冒険が始まる。人びとは命を与えられ、古のロンドンは色づき、匂いも音も、鮮やかに蘇る。