『シェパートン大佐の時計』『ハイ・フォースの地主屋敷』『シー・ペリル号の冒険』(ダーンリィ・ミルズシリーズ) フィリップ・ターナー (再読)

シェパートン大佐の時計

シェパートン大佐の時計

ハイ・フォースの地主屋敷

ハイ・フォースの地主屋敷

シー・ペリル号の冒険

シー・ペリル号の冒険


久しぶりにダーンリィ・ミルズの三人組―デイビド、アーサー、ピーターに会いたくなって再読。
(初読の感想はこちら→『シェパートン大佐の時計』『ハイ・フォースの地主屋敷』『シー・ペリル号の冒険』


ダーンリー・ミルズはどこにあるのだろう。
どこにでもありそうで、どこにもない町。どこにもない町だけれど、すぐ近くにあるかもしれない町。
ここは理想郷なのだ・・・と思う。
でこぼこと個性豊かなのがそろっているし、へそ曲がりや寂しがりもいるけれど、人びとは信仰心に篤く、教会を中心にした家族のようだ。
そこまでやるか、というくらいにハチャメチャなことをやらかしてくれる子どもたちに、大人たちは顔をしかめつつ、本当はうれしくて面白くて仕方がないのだ。
自分たちもそのような時代をたっぷり体験して大きくなったのだろう。
そして、子どもらのなかで、弱いものへのいたわりや、おおらかな友情が、ちゃんと育っていることを誰もが納得しているのだ。


三冊の本で、三人の子どもたちは小学生から中学最高学年(日本では高三か)にまで成長する。
しかし、その茶目っ気や冒険心は変わらない。変わらないどころか、技術と体力が伴い、どんどんスケールが大きくなっていくのが楽しい。
少年たちは、思いきり子どもであると同時に、一方で、家族の大切な助け手である。
一巻では、代々大工である家の息子デイビドの父や祖父への純な敬意に打たれる。
二巻では、普段磊落なアーサーの、荒野(ムア)百姓として、厳しい自然に立ち向かう姿が圧倒的な迫力で心に迫る。
>荒野(ムア)は、人を甘やかし、少しも危険はないのだと思わせる。そしてだしぬけにかわる。風がほえ、雪がくる。目も口もあけていられないほど、無慈悲にふきつけてくる。猛獣が目をさまして、人をおそい、ひきさいてしまうのだ。


三人の子どもたち、デイビドもピーターもアーサーも、ごく「普通」の大人になり、傍から見たら平凡な人生を送るであろうことを予想している。
傍から見たら平凡・・・しかし、本人や周りの人間たちは知っているにちがいない、喜びと冒険に満ちたいきいきとした人生であることを。
親から子どもへ確実に渡される、親子だけが知っている限りない豊かさという贈り物。
正直、この本の中の価値観はときどき古く感じる。(なかには、かなり違和感を感じるもの、はっきりとそれは違うと思うものもある)
それでも、あらゆる欠点を差し置いて、やはり、彼らが活躍するこのシリーズがわたしは大好きだ。


少年たちの三つの物語には、三つの謎解きが仕込まれている。
ミステリとしては『シェバートン大佐の時計』が一番おもしろいのだけれど、あとの巻にいくほど、おまけみたいで大したことがなくなっている。
三人の日々の、忙しいあれこれの輝きの断片にすぎなくなっている。それはそれでいいのだ。


理想郷・・・と思っている。
理想郷が、あまりに「聖なる場所」であったら敷居が高すぎる。でも、すぐその角の先にありそうな明るい光さす場所を思い描くことができたら、元気に暮らしていけるんじゃないか。