『オウリィと呼ばれたころ』 佐藤さとる


戦争の終わりごろから約10年間。
主に終戦後2年間、十代の終わりごろの佐藤さとるさんの自伝(青春記)です。


戦中。
空襲で九死に一生を得たこと、学徒動員により結核に罹患したこと、困難を極めた疎開の道・・・
しかし、いつ死んでも不思議はない、死ぬのが当然の、戦中の青年の考え方の方が怖かった。
死のほうが生よりずっと身近で現実的に思ってしまえる。それは、静かな狂気のように思えた。
この時代の普通の人たちの「当たり前」が、当たり前に描かれていることが、怖かった。

>一気にそうなったのではなく、しのび寄るように徐々に変わってきた。そのためにこの過酷な事態を、当然のように受け入れてきていた。


そして、戦後。
食べ物もなく、インフレでお金の価値がめちゃくちゃなころに、進駐軍のキッチンボーイやルームボーイなどちょっと変わったバイトを経験したり、
それから、専門学校(高専)入学に関わる顛末、同居人たちの事情など、
佐藤さとるさんの体験そのものがおもしろいのだけれど、それとともに当時の世相が見えてきて興味津々。
目まぐるしいほどに変わる環境のなかで、出会った人たちとの交流は、どの話もほのぼのと明るい。
大変なご苦労であっただろうに、時にちょっと楽しそうじゃないかと感じる。
ほんのわずかな間の付き合いさえも、ユーモアをたたえながら懐かしく語られていて、佐藤さとるさんの童話に通じるやさしさと夢とがある。
貧乏で、カツカツの生活、明日どうなるかわからない暮らし。でも、作者の中には、小さな人たちがいつもいたのだ。
それは幼少のころから作者の中に住み続け、いつか童話を書きたい、という夢とともに生き続ける。
青春期のほの明るさは、どん底から立ち上がろうとする逞しさよりも、内側から駆け出してくる「夢」たちのの明るさのせいに違いない。
表紙には、作者が若い日に描いた小さな人クリクルがいる。彼が指さす先にはきっと未来がある。


童話作家の書くエッセイだもの、最後はおとぎ話の「めでたしめでたし」が待っているはず、と期待させる。
期待させて、その期待を裏切らないでいてくれるのもうれしい。