『ゼバスチアンからの電話』 イリーナ・コルシュノフ

ゼバスチアンからの電話 (Best choice)

ゼバスチアンからの電話 (Best choice)


表向きは民主的だけれど、何ごとも自分の思い通りにしてしまう父親。それ以上に腹が立つのは、父の言いなりで自分の意見を持たない母。
自分は絶対に母のようにはらならない、と考えていたザビーネは、ゼバスチアンに恋をして、いつのまにか母そっくりになっていた。
ある日、ゼバスチアンとザビーネはけんかをする。自分の意見を失くしていくザビーネの態度に彼はうんざりしていたのだ。
ザビーネ一家の引っ越し(父の一存。表向きは家族同意の上)とザビーネ自身の意地もあり、恋人たちは一年にも及ぶ冷却期間を体験する。


ザビーネは、自分がいつのまにか母そっくりになっていたことに気がつく。
そして、それは誰のせいにもできないこと、ほかならぬ自分から進んでそうなろうとしていたのだ、ということにまで気がつく。
そのとき、彼女は明らかに大きなステップを踏み出す。


そうはいっても、ザビーネのようなしっかり者の少女でさえ嵌ってしまう(善意の)罠が、家庭の内外に、子どものまわりには張り巡らされているのだ。
「それこそが幸せの形」という洗脳が、女たちの頭を麻痺させる。
ボーイフレンドの母まで、とは。あるある・・・あるよねえ。
女たちを縛るのは、むかつく表向き民主主義の男たち以上に、女自身なのだ。
自分はそうではないと思っていたのに、恋に落ちた時にちゃんと発動する仕組みなのだろうか。
あるいは家庭を持った瞬間に?


読んでいるうちになんとなく気がついてきたことがある。
父と母はよく似ている・・・
依存することと抑圧することは、同じ根っこから生まれた双子なのではないか。
これジェンダーの問題ではない・・・


環境の大きな変化は、ザビーネ家族の歪みをはっきりと際立たせていく。
この家族という容器は歪んでいる。ねじくれたバランスでやっと成り立っている。
もともとが無理なバランスなら、いつかは倒れてしまうだろう。
それは、他人事ではないし、遠い昔の話ではない。どこにでも似たような話はあるのだ。
誰かが無理をして我慢して、歪みを隠しながらバランスをとっている、そういう「もの」は、家族に限らず、自分の周りにたくさんある。
無理していることがいつのまにか自然なことになってしまって、だれも気がつかなくなっていることもある。


ザビーネとゼバスチアンという恋人同士の歪み。そして、ザビーネ一家の歪み。
だけど、その外側を、年輪のように大きな歪みが、幾重にも取り巻いている。
ザビーネたちが通うギムナジウムの歪み。(いいえ、これは腐り?)
環境問題。
そして、ドイツという国(そしてわたしたちの日本にすごく重なっている)が抱え込んでいる問題。
さらに世界へ。
物語は、歪みの年輪の一端を覗かせる。
自分たち家族と恋人との間の問題に気付き、修復しようとしているザビーネ、その友人たち。彼らは、自分たちをめぐる世界の歪みを見つめていくはずだ。