『野生の樹木園』 マーリオ・リゴーニ・ステルン

野生の樹木園

野生の樹木園



ヴェネツィアから北西へおよそ百キロ、プレアルプスの深い森と広大な牧草地に囲まれたアジアーゴ高地に、こよなく美しい「客間」があります。」
とは、『訳者あとがき』の書き出しです。
「一枚板の大きなテーブルと長椅子、四壁は枝葉をたっぷりと繁らせた木々、照明は降りそそぐ秋の陽射し、BGMは小鳥の囀りとときおりの風が運ぶ葉のそよぎ……。」
訳者は、この「客間」で作者リゴーニ・ステルンにもてなされたのでした。
「これが《野生の樹木園》なのだよ」という言葉とともに・・・。


カラマツ、モミ、マツ、セコイア、ブナ、ボダイジュ・・・20の樹木の「物語」が、この『野生の樹木園』をつくっている。
木々一種一種が、様々な方向から大切に語られる。
その性質、歴史、人との関わり、その木々にまつわる伝承や言い伝え、実用性、薬効があるならその効能まで・・・
そして、ここ『野生の樹木園』での作者本人との関わりなど。


幸福の木でもあり、魔女を祓う木でもあるナナカマド、
トルストイの『戦争と平和』のなかで、オークがどんなに美しい文章で語られていたことか、
一株のイチイに詰まった果てしない年輪のこと、
トネリコが語る神話・・・とりわけエッダで謳われた『樹木の祖』・・・
杖になり、家具になり、家を与えてくれたり、果実や樹液を恵み、クリスマスツリーになることを厭わない度量の大きな樹木達。
それらすべてが、自然破壊とは遠いところにあるのだと知った。懐の大きな森は、人間が望むままに木々を分け与えてくれた。
戦争は別だ……


樹木たちは、二つの大きな戦争を知っている。
『野生の樹木園』は、激戦地だった。第二次大戦の後、作者はここに帰ってきたのだ。
荒れ果てた故郷の森。
古木が鬱蒼と茂る森に、要塞や連絡壕の跡を残し、少し土を掘れば、手榴弾の残骸、銃弾や薬莢、そして人骨が現れたという。
一度破壊された森は、元には戻らない。
美しいこの樹木園も、作者が生涯をかけて育て上げてきたもの。
一本一本の樹に物語があるのも当然なのだ。
セコイアがこの土地に植えられたわけが語られる。「君の庭に植えてくれ」「私の思い出に、私の仲間たちの思い出に」と語った人の言葉とともに。
二本のポプラの物語が語られる。荒れ果てた菜園のまんなかに移植された物語。


静まり返ったカエデの森を、仔を従えたノロジカが去っていく。
子どもたちが、カエデの翼果を飛ばす。くるくると輪を描いて飛ぶさまを、ふと懐かしいと感じてほほえんでしまう。
カエデの木は、ただ黙ってそこにいる。
平和な美しい光景に、ほっとする。


木々が何を見てきたのかは誰も知らないのだ。
木々が何かを語るわけではないのだ。それなのに、読みながら、わたしは木々の声を期待して待ってしまう。畏敬を込めて。
本の奥から聞こえてくる静けさに耳をすましている。