『カモのきょうだい クリとゴマ』 なかがわちひろ

カモのきょうだいクリとゴマ

カモのきょうだいクリとゴマ


田んぼの畔にはカルガモの巣。
カルガモのかあさんがたまごをあたためていたが、6月の大雨で用水はあふれだし、一帯が湖のようになってしまった。
これまで巣を見守っていた、なかがわちひろさんの子げんくんとふみちゃんは、にわか湖に散らばったたまご(すでに烏につつかれはじめていた)を六つ救いだして家に持ちかえった。


突然来訪したたまごたち(有精卵か無精卵か、に始まって)に、あり合わせの道具を使っての孵卵器のようなものをこしらえあげたり、チームワークでの見守り、たくみなケアに、恐れ入ってしまうのですが・・・
げんくんは、これまでにもさまざまな生き物を持ちかえってきたそうで、急なお客様の来訪にはきっと慣れていたのだ、このおうちは。
受け入れの大きな(そして本当はご自身も生き物好きに違いない)おかあさんのもと、げんくんの日々は、きっとジェラルド・ダレルの「虫とけものと家族たち」の日本版みたいな感じだったのだろう、と推察して、なるほどなるほど、と思ったのでした。
それと、近くに野鳥を得意とする信頼できる獣医さんがいて、相談できたこともとても心強かったに違いないのです。


6個のたまごのうち、無事にヒナが生まれたのはわずかふたつ。
誕生の瞬間、読んでいるこちらも息をつめた。手を出したいけれど、そうなのね、だめなのね。見守るしかないのね、がんばれがんばれ。ああ、ああ、ああ。
小さな小さな命の誕生がもたらす喜びが胸いっぱいに広がる。


野生に戻すこと前提の「子育て」は、大変なことがいっぱい、思いもかけない事態の連続、なのだけれど、やはり、ひたすらに「なんてかわいいんだ!」
ひたむきに呼びかける、呼びかける。
ついてくる、ついてくる。
いいなあ。


人間の手もとで大切に育てられた野鳥が、自然の中に帰っていくことのむずかしさ、厳しさにも、出会う。
一度自然に返しておしまいではなかったのは、その自然がなかがわ家からあまりに近くにあったからでもある。
手放した後の、カモたちとなかがわ一家の物語は、この本の大きなハイライトではないか、と思う。
人が野生動物に関わる、ということの責任の重さが響いてくるのだ。
いいなあ、かわいいなあ、いい経験したね、では、絶対にすまない責任が。
なかがわ一家の葛藤が胸にずんずん響いてくるのだ。


人の親として、また人の子として、自身の親離れ・子離れを重ねる。
巣立ち。
カルガモにしては、ちょっと変わった巣だったのかもしれないけれど、かあさん(たち)に大切に育てられた大切な命だった。
ちゃんと大人として生きていけよ、と世に送り出された。
もう人間でも鳥でもなくて、ともに暮らした家族の巣立ちを、紆余曲折の末に見送る人として、読んだ。元気でね。元気でね。と。
そして、やはり、一緒に暮らしてくれてありがとう、かな・・・(その気持ちを読者に分けてくれてありがとう、と)