『パタゴニア・エキスプレス』 ルイス・セプルベダ

パタゴニア・エキスプレス (文学の冒険シリーズ)

パタゴニア・エキスプレス (文学の冒険シリーズ)


「ぼく」が子どものころ、祖父は、一冊の本を手渡しながら、同時に人生の大旅行の切符もプレゼントしてくれたのだ。
大旅行への招待状、そして、「二つのことを約束してくれ」と言った。
その一つ。「たぶん、どこでもない場所へ(の旅)。でも、してみる価値があるのは確かだ」
ふたつめ。「いつかマルトスに行くんだ」
「マルトスってどこにあるの?」と尋ねる「ぼく」に、祖父は胸を叩いて「ここだ」といった。
マルトスはスペインにある小さな町。祖父の生まれ故郷。
それなら、まっすぐマルトスに行く物語であっていいじゃないか。
だめだ。辿りつくのは、そういうマルトスじゃないから。祖父が胸をたたいて「ここだ」という、「ここ」を内包したマルトスにたどり着くのは、容易なことではないのだ。


祖父のことを「型破りの怖い人」という。
なるほど。「どこでもない場所」への切符をすすんで愛する孫に手渡す祖父がどこにいるだろうか。「価値ある旅」として。
チリ。独裁体制下という事情があっても(あればこそなおさら)・・・
避ける方策だってあったにちがいない旅の勧めに仰天してしまうのだけれど、このような旅(要・招待状)が本当に「価値ある」ものになったのは、祖父の教えが大きい。
11歳の孫に、教会の扉に向かって放尿させまくる、という一種奇行にみえてしまう(いやいや、どう考えたって奇行でしょうよ)レジスタンスの最初の一歩を伝授したときから、すでに愛する孫を価値ある人生の旅へ送り出す準備をしていたのだろう。


「どこでもない場所への旅」を皮切りにして、「ぼく」の旅の日々が始まった。
「どこでもない場所への旅」から始まったにもかかわらず、この本は、政治的思想的な話にはならない。
そのかわりにそれ以上のものになる。


「ぼく」は旅を続ける。世界中が仮の宿になり、行く先々で突拍子もない物語に出くわし、大切な友を得る。
エクアドルのとんでもない名家の折り目正しい招きと、口を開けた罠から間一髪で逃げ出す話。
辺境の地パタゴニアへの旅の初めに出会ったブルース・チャトウィンのこと。モルスキンの手帳のこと。
途方もない二人のグリンゴアメリカ人)の銀行家(ぎ、ぎんこうかー?)
素晴らしい飛行機野郎たち。ひとりは南極航空葬儀社(自称!)のカルロス・ノ・マス(ただのカルロス、という意)と、もうひとりは、アマゾンを知りつくした勇士(?)パラシオス機長のこと。
本物のパタゴニア人の見分け方もおかげさまでわかった。
そして名言。「わたしたちは幸せになるために嘘をつく。でも誰一人、嘘とペテンを混同しちゃいない」
出会った人びと、出会った出来事、巻き込まれた事件を振り返る。
そうしたすべてが手を組んで「ぼく」の人生を支えているようなのだ。出会い、続いていく親交、喪失まで、すべてが。


マルトスはずっとそこにあったのだ。彼とともにあったのだ。
旅の積み重ねのなかに、様々な出会いのなかに、色を変えて、形を変えて、少しずつ豊かになっていくマルトス。
果物が熟すように熟していくマルトス。
そうして、とうとう辿りつくべきときが来たのだなと、最後の一文の余韻に浸っている。