『ライオンの皮をまとって』 マイケル・オンダーチェ

ライオンの皮をまとって (フィクションの楽しみ)

ライオンの皮をまとって (フィクションの楽しみ)


たくさんの「なぜ」が浮かび上がってくるのだけれど、その答えは簡単に教えてもらえない。
「なぜ」を追い求める物語ではないから、とても不満だけれど、脇に置いて、波のように高く低く揺蕩う語りについていかなければ。
――これは、若い娘が夜が明けるまでの時間に車の中で聞きとる物語だ。
物語は行きつ戻りつ、そして、「事実」としての出来事をつながせてはくれない。
彼パトリックの遍歴には困惑するばかり。何を考えているのだろう。あまりにとりとめのない行動に面食らう。
説明はいっさいなかったし、彼自身ずっと黙り込んだままだったけれど、明らかな目的があったし、それを支え続ける思いがあったのだ。


都市が生まれる。人が失踪する。追う。破壊する。
遠い国から来た寡黙な労働者たち、逞しいのか儚いのか定かではない女たち。いくつもの官能的な夜。それから暗い花火。
地の奥から聞こえる重く静かなリズムとなる。
硬質で土くさい、力に満ちた世界なのに、静かだ。きな臭いこともただ、美しい。
なぜとなぜとが、静かに重なっていく。とりとめがないと感じていたのに、うっかりすると見落としそうなくらい静かに、でも急激に。
ライオンの皮をまとう、というのは、鎮魂の意味があるらしい。巻頭に引用された『ギルガメシュ叙事詩』にそんな一文がある・・・
そうか。ほかのどんな激しい言葉よりも、鎮魂という言葉が一番ふさわしいかもしれない、と思った。


始まりは少年時代の美しい描写。
美しい、といってしまうには、あまりに厳しい暮らしなのだけれど、牧歌的で明るい輝きがあるあの日々。
それが物語の波の間に間に見え隠れする。見失いそうになるその日々が鮮明によみがえってくる。


忘れられない描写がいくつも。くっきりと目に浮かぶ光景が、美しい短文の積み重ねで描きだされる。
ナイフの歯を使ったにわか仕立てのスケート靴、手にはガマの穂にともした灯、そうして、真夜中、森の中の湖を滑る男たち。それらが、遠くから見ると真冬の蛍のように見えること。
爆破された長石。(残酷で悲惨なのに、輝くもの)
劇場で人形たちに紛れて踊る女優。
青い泥棒。
場面場面が印象的で(幻想的で)忘れられないのだけれど、あとから一つ一つ、違った意味で思いださせられる。いいや、そうじゃなくてもいい。ただ好きだ、とそれだけでいいや。


車は夜道をついて走るのだろう。
車の中で語る男と聞く娘・・・この二人がだれだかわかった。
『イギリス人の患者』の前の彼らの物語がこれだったんだ、と知ったとき、驚いたし、彼らに出会えて嬉しかった。
そして、娘のこのあとの人生も私は知っている。
人は旅をしなければならないのだろう。ぐるぐるまわったり、戻ったり、そんなやり方で、どこか遠くへ行くのだね。
その途上でだれかかけがえのない人の人生の礎になったりもするのだろう。